2019年11月26日火曜日

杉浦醫院四方山話―599『第6回杉浦もみじ伝承の会』

 すっかり恒例となった「杉浦もみじ伝承の会」が昨日、これまでになく温暖の中開催されました。

この会は女性グループによる実行委員会が主宰して、杉浦醫院庭園のもみじがきれいに色づく時期に合わせ和をコンセプトにした約30店舗のフリーマーケットが出店し、紅葉を愛でながら来場者との交流を深めてきました。今年は6回目になりますから毎年訪れるリピーターが多いのも特徴です。


 今年新たな試みとして、庭園だけでなく病院棟2階の座学スペースで「茶席」を設けたいと地元の昭和町民から提案を受けました。庭園は公園扱いですから自由散策など無料開放していますので年一回のフリマにも協力してきましたが、館内での開催となると入館料も派生するなどクリアすべき課題も付随しました。


 買い物が主目的の来場者も午前・午後に開催していた「院内見学会」には毎年多くの参加者もありましたから、館内での「茶席」となると見学会もスムーズな開催は難しくなります。

そこで、お互いに知恵を出し合って試験的に今回、茶席と院内見学会をセットにして開催してみました。10時から1時間ごとに茶席を開催し、2,30分抹茶を愉しみ終了後は院内見学を約3、40分、案内に従って行うという形でやってみようと計画しました。


 そんな協議を経て具体化が決まると主宰者の皆さんは事前に数回、当館に来て準備作業を綿密に行い、座学スペースに水屋とお席が用意されそれなりの雰囲気も醸し、後はどの位の方々が二階まで足を運んでくれるか当日を待つのみとなりました。


 途中で「お茶はいいから見学だけしたい」と云う方や逆の方もいましたが「今日は茶席と見学はセットでお願いしています」で通しましたが、結果的には茶席も見学会も収穫が多かったと云う声が多くお互いが満足出来る内容になったように思います。


 昨日は大相撲九州場所も千秋楽で、郷土力士・竜電は敗け6勝9敗と3場所連続負け越しとなりました。また、バンフォーレ甲府もJ2最終節を地元甲府で琉球と対戦し2‐0で勝利しプレーオフ進出を決めるという明暗を分けた結果となりました。

かつての横綱が用いた「百折不撓(ひゃくせつふとう)」なる四字熟語は読みも意味もポピュラーではありませんが、同じように「失敗にもくじけず何度も挑戦することが大切で、その過程で成長したり進歩する」と云った意味では「失敗は成功の母」とか「試行錯誤」と云った言葉の方が身近なように思います。


 今回の「茶席+見学会」も試行錯誤でやってみましたが、思った以上の参加人数で充実した内容で終われましたから、所詮人間が作った「決まり」に逃げ込むのではなく、お互いの条件や希望を出し合って臨機応変に対応していくことが必要であることを実感しました。

それにつけても日本人はその辺の微妙なニュアンスをズバリ四文字で「臨機応変」「試行錯誤」「百折不撓」等々・・・本当に知恵深いなぁ~ 

2019年11月20日水曜日

杉浦醫院四方山話―598『山梨県立大学看護学部』

 先日、昭和町いきいき健康課で実習中の山梨県立大学看護学部の学生4名が午前中当館の見学に見えました。「杉浦醫院に行けば昭和町の歴史は全部分かるからと言われてきました」と来館理由も素直に告げるので「昭和町の歴史全部と云ったら時間無制限でいいのかな」ですが「午前中いっぱい大丈夫です」と云うので「じゃあ看護学を学んでいるなら地方病に絞って2時間やりましょう」と見学会をスタートしました。

 

 山梨県立大学は、どんな変遷をたどって現在どんな学部があるのか知りませんでしたので、この機会に整理してみました。

大学のH・Pによると池田キャンパスと飯田キャンパスがあるようで、池田キャンパスは、昭和28年に開校された山梨県立高等看護学院を母体として平成7年に山梨県立看護短期大学となり平成16年に山梨県立大学として文科省から認可され現在に至っているようです。

飯田キャンパスは、昭和41年に国文科・家政科・幼児教育科の3科編成で山梨県立女子短期大学として開校し、後に国際教養科を設置したり家政科を生活科学科と名称変更するなどして池田キャンパスの看護短期大学と合併し、平成16年に山梨県立大学になったようで、現在は、男女共学で国際政策学部・人間福祉学部・看護学部の3部構成のようです。 

 まあ、このように元々は別の学校を一つにまとめるとなるとそれぞれの教職員から同窓会までが「ウチが母体」の本家争いの綱引きが一般的で、かつセクト主義的にそれが永く尾を引くのも特徴でしょう。山梨県立大学のその辺に詳しい方がいましたら、是非話を聞かせてください。

 

 それは、山梨県立高等看護学院以来の卒業生が県庁から市町村の保健師として「鉄の結束」で見事なピラミット体制を構築し、その体制になじめない心優しき?方々は辞めって行った事例を観たり聞いたりしてきたからでもあります。今回の4人の学生も至って真面目で、皆さんクリップボードを用意し、私の話を一生懸命メモしているので思わず「午前中の研修報告として提出するよう言われてるの?」と聞いてしまいました。


 これも一般的な話ですが、見学会や講演会などでメモを取ると云う行為は熱心で良いことのようになっていますが、果たして本当でしょうか?話をしっかり聞いて「?」とか「なぜ?」と云った疑問点をメモすることは必要ですが一言一句メモしようなんて無意味ですし間違いでしょう。メモするための見学ではなく新たな発見や知らなかったことを知ることに心が動くこと(感動)に見学の意味や必要性があると私は思っているのですが・・・・


 現場実習は3年生の必須のようですが、3年間山梨県立大学の看護学部で学んできたはずですが、正直な4人は「地方病については何も知りません」「学校でもやってません」とのことで、全くの白紙状態でした。「そうか。横山先生が辞めてから地方病を教える先生が居なくなったのか」と話しましたが、2年制の高等看護学院・看護短期大学時代には山梨の風土病でもあった地方病を横山先生が教えていたのに4年制の大学になったら教えていないと云うのもおかしな話です。県庁OBの薬袋勝氏や梶原徳昭氏など有識者も揃っているのに・・・です。


 そんな訳ですが、彼女たちはみっちり2時間、しっかり学習して帰りましたが、純真無垢で向学心に溢れた(ように私には見えた)学生に大学はどんなカリキュラムを用意しているのか?今日の4人は昭和町に実習に来たので地方病も知りましたが、山梨県立大学として看護学部に限らず、地方病=日本住血吸虫症の病理や終息に至った歴史を学ぶ機会を是非お願いしたいと思った次第です。

2019年11月14日木曜日

杉浦醫院四方山話―597『君が 笑えば 世界は 輝く』考

 前話で「童謡生誕100周年」について記しましたが、その余韻でしょうか?昨日聴いた嵐と云うグループが歌った「君が笑えば世界は輝く」をタイムリーに取り上げてみたいと思います。


 「君が笑えば世界は輝く」は、夜のニュースで聴いたというか観たのですが、昨日行われた「即位パレード」に合わせて皇居前広場でおこなわれた「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」と云うイベントの中で披露された歌です。Jーポップ調で今風の歌でしたが「?」と思ったので歌詞を調べてみました。

どういう方は存じ上げませんが、作詞者は、岡田恵和と云う方です。長い歌詞ですが「君が 笑えば 世界は 輝く」のテーマ部分をそのまま転載してみます。


「君が 笑えば 世界は 輝く」

君が 笑えば 世界は 輝く
誰かの 幸せが 今を 照らす
僕らの よろこびよ 君に 届け
 
はじめはどこかの 岩かげにしたたり 落ちたひとしずくの 水が平野を流れ
やがて研ぎ澄まされ 君をうるおし 鳥たちをはぐくみ 花たちとたわむれ
あの大河だって はじめはひとしずく 僕らの幸せも 大河にすればいい

大丈夫 水は 流れている 大丈夫 海は 光っている
大丈夫 君と 笑ってゆく 大丈夫 君と 歩いてゆこう

 なんと云う事でしょう!これでは全く「君が代」の現代版ではないでしょうか?Jーポップなるジャンルは、1990年代にこれまでの「歌謡曲」や「ニュー-ミュージック」とは趣が違う日本の若者が生み出した若者向けのポピュラー音楽だとばかり思っていましたが・・・・

君主の永続性を願い賛歌する「君が代」の「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」の「さざれ石」を「ひとしずくの水」に「巌」を「大河」に「苔」を「海」にすり替えただけで、「君が 笑えば 世界は 輝く」「大丈夫 君と歩いてゆこう」の「君」は「天皇」ではなく「身の回りの愛する人だ」と、姑息な逃げ道まで透けて見えます。

 

 いや待てよ、ひょっとして「君が代」の無理な解釈が姑息であって、この詩の「君」は「天皇陛下です」としっかり指し示しているのではないでしょうか。だって「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」での「奉祝曲」ですから・・・・


 まあ、若者に人気の芸能人まで動員して、飽きさせない工夫やソフト化されたショーアップで、世界に唯一無二の皇室・天皇をいただく伝統国・日本と云った物語をいかにして国民に浸透させていくかが民主主義国・日本でも権力維持には必要だと云うことでしょう。

 

 主催者もあいまいな「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」をNHKが中継したようですが「国民祭典」と銘打たれるとこれを観ない者或は「ちょっとなア~」と違和感を抱く者は「非国民」であるかのようです。人気アイドルグループの「歌って踊って」で、その辺の狙いもぼかし、その新曲も「天皇あっての国民であり国家です」を織り交ぜた復古調の歌詞で・・・そんな嵐の熱演に「雅子妃も感激で涙した」との報道まで・・・「感激の涙」って誰が決めたの?だって「君が 笑えば 世界は 輝く」と常に「笑み」を強いられるお二人は私にはお気の毒で、無理言うな!です。その上「大丈夫」「大丈夫」のリフレイン・・・う~ん、これって失敬じゃないの?って。



 

 天皇即位にかんするお祝いイベントをテレビを始めとするマスコミがこぞって報道するのは、為政者にとって計り知れない政治的効果があるからでしょう。それが証拠に街の声として「パレードを観て日本人に生まれて本当によかった」とか「おめでたいことに立ち会えて幸せ」と善男・善女が口を揃えています。

 

 今は昔の昭和12年、盧溝橋事件から泥沼の日中戦争への時代、詩人・金子光晴は植民地支配や戦争に狂喜する日本人に愛想を尽かし、詩人として最後の鬱憤と社会批評を詩に叩き込みました。詩集「鮫」におさめられた「おっとせい」です。日本ファシズムの感性と国家による個人への干渉を、豊潤かつ痛烈に解剖し、憂いたオットセイ国・日本の閉塞感は、元号が2度変わった現代ても・・むしろなりふり構わずかつ巧妙に・・・の感もしてきましたが「アンタは詩人でもないのだから身の丈に合ったことを感じなさい」と文科大臣センセイに叱られそうです。