2019年10月30日水曜日

杉浦醫院四方山話―596『童謡・わらべ歌・唱歌』



 杉浦醫院院内コンサートは昨年、ピアニストの佐藤恵美さんから「今年は童謡誕生100周年の記念の年だから、友人の童謡歌手・塩野さんとの童謡コンサートは如何でしょう」と提案をいただき、それならば地域の西条小学校の児童にも聴かせたいと小学校での「出張コンサート」を開催しました。

 西条小学校コミュニティースクールの一環として保護者や地域の方々も参加し、皆さんからご好評をいただく中で「町内全ての学校で子どもたちに聴かせたい」となり、今年は11月1日(金)11時から押原小学校での開催となりました。


 杉浦家から寄贈された昭和八年の皇太子生誕を記念して日本楽器が日本で百台受注製造した文化財的ピアノを活用して始めたコンサートでしたが、薬香も残る院内で、庭園の木立を抜けた風に吹かれながらのコンサートはファンも多く「今年の院内コンサートは?」との問い合わせもありますが、どう工夫しても定員40名が限界でしたので、童謡と云うこともあり試験的に学校を会場に開催したところ費用対効果と云った行政面からの評価もあり、出張コンサートが継続開催となりました。

そんな訳ですから院内コンサートを心待ちにしていた皆様も保護者や地域にも開かれたコンサートですから押原小学校の多目的ホールにお越しいただきお楽しみくださいますようご案内いたします。 

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押小多目的ホールは、ご覧のようにステージのある正面は「押原の杜」の自然を借景に取り込んだ会場ですから、杉浦醫院院内コンサートにも通じる雰囲気も味わえます。

 さて、「童謡」は子ども向けの歌を指すのでしょうから「わらべ歌」や「文部省唱歌」も童謡に入るのでしょうか?なぜ「童謡」「わらべ歌」「唱歌」と云ったジャンル分けがあるのか?前からちょっと気になっていましたので、フリー百科事典『ウィキペディア』で調べてみました。

 

 前述のように昨年が「童謡生誕100周年」だったそうですから、日本で大正時代以降、子どもに歌われることを目的に作られた創作歌曲を正確には童謡と云っているそうで、もっと厳密には創作童謡と呼ぶのが正しいそうです。

 ですから、学校教育用に創作された「唱歌」は、文部省が歌詞に徳育を盛り込んだり情操教育にと日本の風景を賛美するなど教育的配慮が施された子どもの歌とも云え、童謡には含まれないそうです。そう言えば、文部省唱歌 「日の丸の旗」 など「白地に赤く日の丸染めて、 ああ美しや、日本 の旗 は」とすっかり擦り込まれていますからねえ・・

 また、「わらべ歌」は作詞・作曲者も不明な自然発生的に生まれた歌を総称するようで、自然童謡とか伝承童謡と呼ばれることはあっも童謡には含まれないそうです。確かに「本当は怖いわらべ歌」と云った考証もありますから、ある意味手あかのついた子どもの歌を外す意味もあったのでしょうか?



 要するに大正時代に子どもに芸術的香気の高い歌謡を創作して与えていこうという新しい運動が起こったということで、鈴木三重吉が1918年(大正7年)に児童雑誌「赤い鳥」を創刊したことと軌を一にしています。鈴木は「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな歌と曲」を子供たちに与えたいとして、そうした純麗な子供の歌を「童謡」と命名し、これまであった「わらべ歌」や「唱歌」と一線を画したということのようです。



 まあ、こう言ったジャンル分けには大した意味もないように思いますし、これらの概念も時代と共に変わっていくのが世の常でしょうから、「童謡=子どもの歌」として唱歌、わらべ歌に限らずアニメの主題歌なども含め、子どもが喜んで歌う歌は全て「童謡」で言いように思いますが、鈴木三重吉センセイが崇高な精神で追求した世界にそれでは失礼、いい加減過ぎると云うものでしょうか? 

2019年10月22日火曜日

杉浦醫院四方山話―595『山梨県古民家再生協会』

 昨日、山梨県古民家再生協会の方々11名に来館いただきました。

当館は、地方病=日本住血吸虫症の解明から終息までの歴史と杉浦健造・三郎父子の功績を伝え、併せて水の街・昭和を発信していく郷土資料館ですが、敷地内には明治25年築の母屋をはじめ昭和4年築の醫院棟まで5棟の建造物が国の登録有形文化財にも指定されています。

 そんな関係から、今回の古民家再生協会のメンバーに代表される建造物の見学が目的の来館もあります。


 9時30分に集合されたメンバーは、「建物と地方病、両方の案内をお願いします。時間も午前中いっぱい大丈夫です」と皆さん大変意欲的で、母屋の屋根を指さし「あんな大きな棟(むね)はちょっとないよ」「今の瓦はひっかけて留めるんだけどあの瓦は粘土の上に敷き詰めていく構造だから吹き替えも大変だよ」と参加者同士でも感想や専門的な話が飛び交っていました。


 

全国には、未だ杉浦醫院同様の日本の住文化である「古民家」が多数残っていますが、高度経済成長時代を機に住居もスクラップアンドビルドで建てては壊すとことが当たり前になり、古民家は、寒い・暗い・不便に加え「金食い虫」とも呼ばれ敬遠されてきました。

 

 しかし、日本人は 柱や梁などの構造材は再利用するのが当たり前な持続可能な社会を形成してきたのも事実で、古民家には先人の知恵が詰まっているともいえます。

かといって、近代住宅の快適さを経験済みの日本人が全て古民家を志向するとは思えませんが、先人たちの知恵を学び活かし、日本の文化や技術を後世へ残していくことは必要かつ意義のあることで、遅ればせながら日本でも景観維持も含め、古民家志向の方が増えているのも頼もしく、成熟社会の一現象と言えるのではないでしょうか。


 古民家再生協会は、古民家が再利用可能かどうかを古民家鑑定士が鑑定し、古民家を残していけるよう提案を行うなどの取り組みをしているそうですから、杉浦醫院の活用例が活かされれば光栄なことです。 

2019年10月16日水曜日

杉浦醫院四方山話―594『再びの陸の孤島化・雑感』

 「災害は忘れたころやって来る」もしくは「忘れたころやって来る」と云いますが、5年前の2014年2月14日からの豪雪は、山梨県を『陸の孤島』と化しました。

私達は普段「山梨は富士山と八ヶ岳が守ってくれるから台風などの災害も少ないし風光明媚でいい」とか「冬も雪はそんなに降らないし日照時間は日本一だ」と云った自画自賛を挨拶のようにしていましたから、物流が完全にストップした状態が何日も続くと改めて山梨の地形とほぼ並行して走る中央線、中央道、国道20号に頼り切った「幹線」のありようを思わずにいられませんでした。

 

 今回の台風19号でも今日(2019.10.16)現在「陸の孤島」状態であることを山日新聞が詳報しています。一面の大見出しは「中央線18日運転再開」、小見出し「特急は今月末見込み」「中央道復旧に一週間」と報じ、下記の「通行止め、運転見合わせ」地図を掲載しています。



 AI時代の到来が叫ばれる現在では、今回の台風も「安倍政権による消費税増税隠しの人工台風だ」とか「アメリカの気象兵器だ」と言った指摘もネット上には飛び交っていますが、雨・風は自然災害の代表で、太古の昔から自然の脅威や怒りにひれ伏し、山の神や海の神にも祈ってきたのが日本人で、この国の風土でもありましたから安直に政治に結び付けての非難は、八つ当たりと云った誹りを免れないでしょう。

 

 自然災害減少の為にあらゆる科学を動員して予知する防災活動や起こった災害や被災者への救援には政治も寄与すべきでしょうが、自然の本質や摂理からすると限定的で限界があるのは、むしろ人間がこれ以上傲慢にならない為にも必要なことのようにも思います。

 

 同時に物事の効率や便宜を優先する都市化社会では、新幹線のリニア化やタワーマンション化などに注目が行き勝ちですが、獣道も含めあらゆる道が近隣と結ばれ、山に囲まれ閉鎖された山国・山梨では無かったとする網野善彦氏の指摘も「陸の孤島」化を防ぐ貴重な教訓のように思います。


 幹線の通行止めで確かにコンビニやスーパ―の商品が品薄になったりはしますが、「地産地消」の道の駅等では、地域で収穫できる野菜や果物は揃っているようですから、人為的な制度や階層に関係なくある意味公平に襲い掛かる自然災害による不便位は、ツベコベ言わず耐える精神が必要でしょうが、認識不足の軽口をたたいては「真意ではなかった」と強弁するバカな政治が続いている現実が「自然災害も衆愚政治の人災」 云々の引き鉄になるのでしょう。

2019年10月1日火曜日

杉浦醫院四方山話―593『ハチの季節・雑感』

 杉浦醫院各所には、新旧併せて幾つものスズメバチの巣があります。

永い間、純子さんが静かに生活していたのでハチも安心して巣造りが出来、安らかに短い一生を送れたことから、ハチにとっては地上の楽園としてこの屋敷は引き継がれているのでしょう。

 

 スズメバチは、春から巣を作り始め秋までかけて巣を大きくしていきますから、その一生は巣造りに終始しているようにも思います。ひとつの巣が1年を超えて使われることはありませんから、古い巣があってもハチはいません。

女王蜂の元で巣造りに励んだ働き蜂や雄蜂は、寒さや寿命で冬を越えることが出来ず、越冬することが出来るのはその年に生まれた新女王蜂のみです。

 

 冬眠から覚めた新女王蜂も親が造った巣を基本に新たな巣造りを始める訳ですから代々作られる場所は数十メートルの範囲で、軒下など人の出入りの少ないハチにとっても安全な場所が選ばれます。巣造りの最盛期(7月から9月)には働きバチが1,000匹を超えることもあると云いますし、この時期は巣を守ろうと攻撃的にもなりますから、巣に近付かないよう注意が必要になりますが、人間とハチの共存が可能なのは養蜂家という職業があることでも分かります。


 「安全・安心」が最優先される現代社会では、ハチによる事故も大きく報じられ「ハチは怖いモノ」「駆除すべきモノ」として忌み嫌われていますが、「蜂蜜」に代表されるように人間の食料としてもハチは貴重な昆虫でもあります。

特に山梨県内では、昔から蜂の子やクロスズメバチの幼虫を「へぼ」と呼んで、甘露煮や炒め物にして酒の肴にしたり、炊き込み御飯にして食べてきましたが、今ではチョー珍味でお目にかかれることも少なくなりました。


 そんなハチですが、杉浦醫院のように不特定多数の来館者を迎える施設では矢張り安全・安心は最優先しなければなりませんから、これまでも新しい巣を見つけると駆除してきましたが、それを学習してか?今年は、竹林にある古い木の切り株の下の土中に巣を造りました。

「竹林にハチがブンブン舞ってるよ」と庭園の剪定に来た庭師が教えてくれましたが、巣は見当たらず、観察すると土の中に出入りしていることから巣は土中にあることが分かり、素人では無理なので駆除会社に巣の撤去を依頼しました。


 プロは、一日目は巣の出入り口から強力な殺虫剤をたっぷり噴霧して「後日、巣の撤去をします」と帰りました。数日後、撤去に来て、土を掘っていくと殺虫剤で死んだハチが次々と出てきました。


 その後は、文化財の発掘作業と同じように慎重に少しづつ掘り進め「これですね」と上から見たら配管のパイプのようなモノが巣だと云いますが素人にはハチの巣とは思えません。徐々にその周りを掘り、抱え出したのが下の写真の巣です。上から見たのは巣の裏に当たる部分だったことが分かりましたが、これだけ堀った土の中にこのように精巧な巣を造りあげる能力に感心すると共に美術作品のようにも思えてきて「そっとして置いてあげればよかったかなー」と複雑な気持ちになりました。


 池を観ながらの一服が昼休みの楽しみですが、今日、一匹のスズメバチが舞い降りてきて、上手に水を飲みだすのを目撃できました。チョコチョコと水をつつくように飲む姿は何とも愛らしく「生き残ったのもいたんだ」と嬉しくもなりました。


ひょっとしてあの水飲みクインビーは、新女王蜂かも!とすると来年もこの屋敷内に巣は造られるかな?とまたまた複雑な気持ちになりました。