2019年7月25日木曜日

杉浦醫院四方山話―588『夏休みの杉浦醫院で雑感』

 県内の小学校から大学まで、生徒や学生には待ちに待った夏休みになりましたが、昔も今も休み中の課題は出されているようで、厄介な「自由研究」も健在なようです。

 

 この「自由研究」は、いつの間にか全国どこでも夏休みの定番になっていますが、大正自由教育の中で元々は成城学園や玉川学園などの私学が、公立学校と一線を画す学習内容として子どもたちの関心や体験に根差した学習活動を教科時間と同様に時間を組んで始めたのが起源です。その後、公立学校にも広がりましたがカリキュラムとしては定着せず、最終的に夏休みなどの長期休暇中の宿題として現在に至っている訳で、何事にも通じますが、一度始まってしまうと止めるのは難しい典型なのかも知れません。


 

 児童・生徒の個性や自発性による探求活動を奨励し、子どもの問題意識を出発点に主体的な学習活動をする「自由研究」が、夏休みの宿題として一律に課されていること自体、その精神や意義は形骸化している証で、子ども達には自由研究と読書感想文は「ショウガない片付けなくて…」の両横綱になっているのが実態でしょう。


 そんな需要もあってでしょうか、当館のような資料館や博物館の中には、夏休みになると「自由研究のお助け」とか「自由研究ガイド」と銘打って、子どもたちの自由研究を手助けしている所もありますが、当館では「常時門戸を開いているから」と特に周知はしていませんが、夏休みになると小学生から大学生まで、その目的で訪れる方が多くなります。

 

 先日は、午前は二人で、午後には一人で山梨大学医学部の学生が来館しましたが「教授から夏休みの課題で必ず見学に行くよう言われたので帰省する前に来ました」と来館理由を率直に話すので、案内しながらこちらも遠慮なく質問したり、進路を聞いたり出来ました。

 これも共通していましたが、帰る際「とても勉強になりました。ありがとうございました」と声を掛けてくれました。

その時、思い出したのが「結果としての生涯学習」論でした。

 

 今回の医大生は、至って正直でしたから、教授からの課題で「ショウガない」帰省前に「片づけて」と杉浦醫院に来た訳ですが、映像鑑賞も含め約2時間弱見学したことで、これまた素直に「勉強になりました」と思いがけず学習できたことで礼の言葉まで出たのでしょう。課題をクリア―する為に来たのだけれど「結果として学習出来た」と。

 

 「結果としての生涯学習」論の代表例が、学習しようとか勉強の為などと云う目的は一切ない物見遊山も含めての旅行ですが、幹事に連れられて行った先で、思いもよらず「学習」出来てしまった…と云う事って確かにありますから、こういう体験を理論化すると「結果としての生涯学習」論と云う事になるのでしょう。

 

 要は、当館は「自由研究の為に」としっかり目的意識を持って来る方にも応えていく用意はありますが「200円で思いがけず学習してしまった」と云う体験が出来るような「結果としての生涯学習」施設でありたいと図って来たのかな?と云う事を医大生の来館で、こちらも気づき、学習出来ましたから「結果としての生涯学習」は「お互い様」が核になるのかな?…とも。

 

 夏休みの自由研究と云う課題の為の来館でも「来て良かった」と予期せぬ成果が得られることもありますし、まあ、甲府盆地で「酷暑の内陸性気候を嫌と云う程体感できもう十分」でも良しと、多くを期待せず、お互い肩の力を抜いて学習し合えるのが一番かなと思っていますので、暑さに負けず足をお運びください。

2019年7月22日月曜日

杉浦醫院四方山話―587『篆刻教室』余話

 猛暑になる前のこの季節、2階座学スペースでは杉浦醫院伝統文化教室を毎年開催しています。今年の教室も昨年好評だった「篆刻(てんこく)」ですが、講師が現代の名工に選定されているお二人なので、両日とも会場は所狭しと云った感じでした。


 六郷の工房から自ら運転して来てくださる上田隆資(号:楠瑞)氏は、御年85歳ですが、日展入選作家であり、永く山梨県の現代の名工として著名でしたが、昨年11月に国の名工に選定され、マスコミでも話題になりましたから、御存知の方も多いことと思います。

 

 その上田氏の「2番弟子」を自称する小宮山一昭氏も県の名工として全国的に活動されていますが、至って控えめな方で師匠の上田氏によれば「1番弟子だ」そうです。

 お二人は、篆刻はもとより渓流釣りと酒席でも師弟関係にあるそうで「ハンコ職人にもいろいろな人がいますが、師匠は釣りやお酒などアソビも大切にしていますから、作品にもソレが出てハバがあるのが魅力で慕ってきましたから、今日も皆さんの前で師匠、師匠と呼びますが・・」と古希を過ぎた弟子の小宮山さんは言います。そんな二人の指導ですから、和やかで初対面の受講者も伸び伸び彫ることが出来、楽しそうでした。


rokugo1  さて、上田先生の「公望山荘」と云うアトリエは、現在の市川三郷町にありますが、合併前は六郷町です。六郷町は「日本一のハンコの里」として、日本人のハンコの60パーセント近くを生産しているそうですが、前から「何故、六郷がハンコの里になったのか?」疑問でしたので聞いてみました。

 

 「元々六郷では足袋(たび)を作って、着物なんかと一緒に全国を甲州商人なんて呼ばれながら行商して生計を立てていた地域だった。時代の流れで足袋や着物は需要がなくなり売れなくなって、足袋に代わるものとして山梨は水晶が採れたので、足袋づくりの技術も活かして、水晶でハンコを作ったのがハンコの町の始まり。ハンコは一人に一本は必要だからと思っていたけどハンコレス社会と云う時代の流れだから、何時までもハンコの町という訳にはいかない感じだね」と小宮山さん。


 「まあ流れはそうだけど、六郷には明治から大正にかけて河西笛州と云う篆刻の大家が居て弟子を育てていたのも大きかったね。最盛期は字を書く人、荒彫りする人、仕上げ彫りする人と分かれ、全部で300人以上がハンコづくりに携わっていたね。戦争中は兵隊も給料もらうのにハンコが無いともらえないから国内だけでなく満州など戦地にもハンコを持って売りに行ったんだから。日満なんてハンコ屋は満州専門のハンコ屋だったね。コンピューターや機械彫りが入ってからは字が書けなくてもハンコが出来るようになって、篆書が書けない職人がいっぱいで、これも時代の流れだね。」と上田師匠。


 上田先生は「自分の技術や秘の技法をあの世に持って行ってもしょうがないから、問われれば全て教える」と云い「いつもこれが最高の作品ではない。次はこれ以上の作品を」と戒めて篆刻に励んでいるそうで、国の名工と県の名工と云う師弟が快く当館まで出向いて、一本一本批評して手直しから制作日のサイン刻みまで惜しまず応じている姿に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」も実感できた「篆刻教室」でした。 


2019年7月4日木曜日

杉浦醫院四方山話―586『文化人類学者の視点または武田信玄の治水と稲作-2』

  松嶋・広瀬両先生との話の中で「武田信玄」がらみでは「私もこんな仮説を考えてみた」と、当ブログの571話572話に書いた「武田騎馬隊と地方病ー1・2」の話をしました。


 これを書いたのも〈なぜ地方病やミヤイリガイが甲府盆地をはじめとする限られた地域にのみ発生、生息していたのか?〉という疑問に何とか説得力のある「答」を出したいと云う私的な欲求からでしたが、期せずして「武田氏と地方病」と云う視点が重なったことが嬉しくて、つい浅学を披露した次第でした。


 私の仮説は、中国では古代からあったと云う日本住血吸虫が中国から渡来した武田騎馬隊の馬の中に感染した馬もいて、甲府盆地に持ち込まれたのではないか?というものでした。

 松嶋先生の信玄の治水、水田拡大による地方病蔓延説を聞きながら「そうか、武田騎馬隊編成前に甲府盆地の水田拡大には人力だけでなく馬や牛の利用は考えられるな」と気づきました。

戦後、甲府盆地の土水路は全てコンクリート化されましたが、その総距離は2500キロに及び、北海道から沖縄までの距離に相当します。水田拡大には水路の構築が伴いますから馬や牛の力は当時としては大変な労力になったことでしょう。


 私の渡来馬による感染源持ち込み説など何の根拠もありませんから全く拘りませんし、松嶋先生の視点は、私の理解よりもっと深いところにあり、私の聞き方に間違いがある可能性もありますが、何はともあれ引き続き先生には、文化人類学的視点で、暗礁に乗り上げている地方病に関するいくつかの疑問に風穴を開けていただきたいと云う期待でいっぱいです。


 今回の両氏の来県、来館は、私にとっては大きな刺激となりました。それは、持参いただいた著書「プシコ ナウティカ」を読む中で、視点を定めて対象に迫る為のシャドーワークとも云うべき研究に、いかに多くの時間・体力・知力・お金が費やされているかを目の当たりにできたからです。その姿勢は、2日間の山梨滞在中にも垣間見え、あらためてブログと云うジャンルの曖昧さと甘さも実感できました。


  文化人類学者の視点をテーマに書いてみましたが、最後に「次のように特徴をまとめることのできる機関、施設として、あなただったら何処をイメージしますか?」と、なぞなぞ形式で締めてみます。

 

1)全生活が同一場所で、同一権威にしたがって送られている

2)日常活動は同じ扱いを受け、同じことを要求されている

3)毎日の活動は整然と計画され、決められた時間に決められた活動をするよう組まれている

4)様々な活動は、きめられた目標を達成するよう設計され、単一のプランにまとめられている

 

 「刑務所」と云う施設での生活経験はありませんが、知る限りでは上記の4点は当てはまりそうですし、「学校」かなと思った方もいるでしょうが、実は、松嶋健先生の「プシコ ナウティカ」を読まれた方が整理した精神医療の「施設」とりわけ「精神科病院」に共通する特徴です。

 

 「学校」「精神病院」「刑務所」の「壁の中」は、全く同じような価値観とシステムで運営され、壁の中の子ども・患者・受刑者は、同じように教育され、管理されているのが分かります。

  一見無関係のようですが「学校」「精神病院」「刑務所」も❔の視点=文化人類学的に見ていくと全く同じ構造で、元々は同じルーツだったのでは?…と云った面白い発見も楽しめることも知りました。

両氏の話題の豊富さ、視点の面白さは、積み重ねてきた教養や研究の表出でしょうから 「ローマは一日して成らず」をあらためて肝に銘じる置き土産もいただき、誠にありがとうございました。