杉浦醫院版「俺は地方病博士だ」の新聞記事を見て、中央市郷土研究部のT氏から送付依頼がありました。届いてからの電話で「この絵には、年章描くのサインが入った最後の一枚が抜けている」とのご指摘を受けました。
私もこの「俺は地方病博士だ」は、大正6年5月17日印刷・同20日発行の初版のものと大正6年6月30日改訂再版のものがあることは知っていました。再版では「茶目子」が「茶目吉」に変わっていたり、表紙絵を含めた挿絵の差し替えや枚数も初版と再版では違っていました。
山梨地方病撲滅協力会が2003年に出した「地方病とのたたかい」誌には、再版の復刻資料が、山梨峡陽文庫には初版の資料が全ページ掲載されていますから、両方を比べた結果、初版の資料を基に文章部分を現代表記にしたのが今回の杉浦醫院版でした。
この冊子が、面白くユニークなのは、文章の視点や記述のみならず対応する挿絵のインパクトにあると私は思いましたので、初版と再版を比べ、断然初版の方が良いと判断した結果でもありました。
初版にあったのになぜか再版では外されたり、一部を描き換えた挿絵は、3枚です。
特に全く違う絵になって、すっかり外されてしまったのが上の男性の裸の挿絵です。お腹に虫が寄生して虫卵の袋でお腹が張った地方病の患者の苦しみを形象した絵は、大変インパクトがありますが、「グロテスクだ」とか「裸は・・・」と云った「教育的配慮」から物議を醸した可能性は容易に察しがつきます。
この絵にとってかわった挿絵が、私には面白くも何ともない下の風景画ですが、当たり障りのない絵を要求され、パッパと描いたのでしょうが、浮世絵師中澤年章の実力でしょう、ウマいなーと感心します。
発行は、大正6年で、その年に生まれた方でも96歳ですから、その辺の差し替え理由が分かる方はいないでしょうが、この2枚を見比べるとこの国の児童文化のありようや価値基準が1世紀を経ても全く変わっていないことを思い知らされます。
同じ中澤姓の作家が描いた「はだしのゲン」の描写をめぐるドタバタ劇は現在進行形ですが、作家亡き後のドタバタは、いかにその作品がインパクトがあるかの証明でもあり、作家にとっては逆に名誉でもあるように思いますが、大正6年5月20日に発行された初版が、翌月6月30日には改訂再版された訳ですから、発行して直ぐ挿絵に対するクレームがあったのでしょう。急遽、中澤年章画伯に差し替えの絵を依頼し「改訂」出来た裏では、最後の浮世絵師と称された中澤画伯の腸わたは、煮えくり返っていたことでしょう。
いや、人並み外れた酒豪で豪放磊落(ごうほうらいらく)だったと云う画伯は、「これでまた酒代になる」と応じたのかも知れませんが、何方かその辺の真相を知っている方はご教示ください。