「最後の浮世絵師」と云われた中澤年章が、故郷山梨に戻って描いた肉筆画の特徴と魅力は「卓越した人物の描写力にある」と云われています。
画面中央に人物を大胆に置き、テーマに合わせた表情、体型、顔つきから指の動きまで緻密さと大胆さが混然一体となって、観る者に迫る人物画を豊かな色彩で描いた作品は、一目見て年章作であることが分かります。
「俺は地方病博士だ」の挿絵もご覧のように物語に合わせて年章が強調したいカットを登場人物の大胆な構図で描写しています。
こういう意図と構想で描いた挿絵が、初版では統一しているのに対し、再版で差し替えられたことにより、ボカされた感は否めませんが、臨機応変に対応して描ける年章の筆力は。こうして比較することで一層際立ちます。
無類の酒好きだったという年章は「酔ふて筆を揮(ふる)えば雲湧き龍踊る」と歌っていますが、韮崎の若宮神社神主の藤原茂男氏は「年章さんは祖父がよく面倒を見ていました。明治34年から7年まで滞在したようですし、その後も大正に入ってからも来たようです。よく酒を飲む人で画料を絵の具を多少買う以外殆んど酒代につぎ込んでいました。春画も酒代欲しさに何点か描いたようです」と述懐しています。
中澤年章研究にあたっている樋泉明氏も「何処で死んだのか?墓が何処にあるのか?全く杳として不明です」と「実家跡は、優美堂書店の隣辺りかと?今でも屋敷神さんの名残が優美堂の隣に残っています」と、謎に包まれた中澤年章の掘り起こしを現在も続けています。
杉浦醫院版「俺は地方病博士だ」が新聞報道され、挿絵を描いた中澤年章と云う郷土画家を紹介してきましたが、これを機に印刷技術の進歩で浮世絵師としての道を絶たれた中澤年章を供養する意味でも現代の印刷技術で、全ての挿絵を大型パネル化して、館内で展示していきたいものと思いました。