2013年9月14日土曜日

杉浦醫院四方山話―272 『葬式ー3』

「近親者は黒衣、礼服で<送り>をする。料理は油揚げ、豆腐、野菜物等の<精進料理>であるが、式が済むと<精進落し>と云い、魚類を出す。式の済んだ翌日、施主が<ご苦労呼び>と云い取持の人達を招く、葬式は寺で行うが、当家で告別式を済ませるのもある」。                    
 「精進料理」は、現代ではヘルシーなお座敷料理と云った感もしますが、「精進」は「相撲道に精進します」で定番のように「物事に精魂を込め、一心に進む」ことを意味していますから、「仏さまの教えを一生懸命守ります」という意味の料理だったのでしょう。
 精進料理で、肉や魚を使わない理由の一つは、包丁で野菜を切っても野菜が暴れることはないのに対し、動物や魚は「死」をはっきりと感じさせるからだとも云われています。食事前の「いただきます」も「お命いただきますの短縮形だ」と小学校で習いましたが、精進料理だから殺生をしてないと考えるのではなく、野菜にもいのちがあることに気づくことが大切なのでしょう。

 まあ、美食や食べ歩きが豊かな生活の象徴のように一般化し、結果メタボだとか騒がれる現代では、人間が他のいのちを奪わないと生きていけない存在であることを悟り、それが苦痛になった「よだかの星」の宮澤賢冶は、「かわいそうな人間」として片づけられそうですが、せめて「これ以上ムダな栄養はとらない」と云ったストイックな価値観は、増加が止められない地球人口ですから、グローバルな価値観として広がる必要があるように思います。そうは言っても陽が傾けば「今宵、タコぶつと焼き鳥で・・・」と云った煩悩は、凡人には如何ともし難く・・・「こまった困ったこまどり姉妹」です。

「七日目に<初七日>と云い、近隣へおはぎを配り、墓参りをする。七日間曼荼羅を座敷へ吊るして供養する。四十九日目に<四十九日>と云い、一升餅をつき、四十九片に剪って寺へ贈り供養する。一年目に一周忌、三年忌、七年忌一三年忌なぞ塔婆を立てお供養する。」
 上記のように13年忌までの一連の供養も大分簡略化された現在、葬儀社主導で、あまりにスムーズでパターン化した葬式では、引導を渡す僧侶の影も薄くなり、葬式関係にしか必要とされない日本の仏教は、「葬式仏教」と揶揄されるに至っています。これも葬式に多くの時間と人手を掛けられなくなった社会構造の変化に起因するのでしょうが、なるべくサッと終わらせたいという多くの人間の本根の需要もあってのことですから、方向性としては確実に「葬式など一切不要」に向かっているのでしょう。

「お産が重くて死んだ仏のために<川施餓鬼>と云い、二一日の間川端に経文を書いた白布を四本棒につり、杓を備えておく。道行く人がこれに水をあげることにより仏は浮かばれると云われている。」
「川施餓鬼」は、昔多かった水の事故で亡くなった人を供養する仏事だと思っていましたが、昭和では、いわゆる「水子供養」を「川施餓鬼」で丁重に行っていたことが分かります。この供養方法が消えて、お墓に「水子地蔵」が建つようになったのでしょうか?

 葬式関係は、深入りしていくと宗教問題ともかかわり、それぞれの宗派や価値観、信心深さととも重なりますから、私のような者があまり多言を弄すと「しまったシマッタ島倉千代子」になるのがオチですからこの辺で。