↑最前列の方 ↑新渡戸稲造
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上記の写真が、植松氏持参資料のコピーを転写した身延山中での記念写真です。
中央の二人の紳士と御付の面々に案内役の僧侶が両脇に、その更に前にいる方が健造先生ではないか?と云うのが植松氏の推論でした。
翌日、塚原省三さん宅を訪ね、写真を観ていただきましたが、塚原さんは開口一番「この人?健造先生とは全然違う人だね。」と即断されました。
植松氏の説明では、新渡戸稲造はクリスチャンであったこともあり、身延山久遠寺としては仏教徒の僧侶がクリスチャンを案内している写真はよろしくないということで、この写真の面々についての名前を公にしていないそうです。
東京女子大初代学長やベストセラー「武士道」の著書もある新渡戸稲造は、1984年(昭和59年)に発行された5千円札の肖像にも採用された著名人ですから、たくさん残っている写真を照合して、上記写真の中央右の紳士は、新渡戸稲造だと植松氏が解明したそうです。新渡戸以外の人物が誰かは判明していないことから、植松氏の探求が続いているようです。
そんな訳で、当ブログをご覧になった方で写真上の人物が特定できる方は、お手数でも当館までお知らせください。
また、植松氏の研究では、新渡戸稲造は、札幌農学校(現・北海道大学)で、「少年よ大志を抱け」の名言で有名なクラーク博士の影響を強く受け、後に甲府中学(現・甲府一高)校長となって赴任した一級先輩の大島正健を慕っていたことから、甲府中学にも講演に来たり、クリスチャンだった関係で山梨英和学院にも何度か来ているそうですが、両校には新渡戸稲造の書は残っていないそうです。