「近親者が到着するまでは葬式は出さない。当村内押越では昭和の初めに定めた時間を励行することを申し合わせ、いかなる事情があっても厳格に時間を守るようになり、見舞人その他大勢の人が時間を空費することがなくなって、一般から喜ばれている。」
「近親者が到着するまで葬式は始めない」と云う了解事項が長く続き、内押越地区がその慣例を刷新し、現代に至っていることが分かります。
「時間を空費しない」と云う価値観はドンドン進み、セレモニーホールでの葬式では、案内係が弔問者数により「焼香は一回でお願いします」と当たり前のように指示し、皆、大人しく従っているのも「時間を空費しない」と云う金科玉条があってのことでしょうが、「何か違うなー」は、私一人ではないでしょう。
すっかり話題性が無くなった感もしますが、ミヒェエル・エンデの「モモ」は、その辺の価値観を揺さぶってくれたファンタジーでした。読み取り方も様々でしょうが、私には「一番の贅沢は、時間の空費だ」と云うことをエンデは主張していたように思います。
まあ、高度経済成長を通してのグローバル社会では、効率的な生産性の向上こそが世界と伍していく上でも当たり前になりましたから、「時間の空費」は罪悪でもあり、勤勉な日本人には受け入れやすい価値観でしたが、個人的には、かつての日本には沢山いた「朝寝・朝酒・朝湯が大好き」な庄助さんの方に魅力を感じます。
「穴掘りの人達には「穴掘酒」を出し、この人達が棺を運ぶ。式の状況により僧侶は三人、五人、七人等で、昔は「野飾り」に五色の布旗、花籠、竜頭、又は「門へい」を立て饅頭など供えたが、今は弔旗、ちょうちん位で、家により親戚、知人から花輪が贈られる。」
野辺の送りーちょうちん棒や弔旗、布旗等がー |
旧田富町東花輪地区では、穴掘りの担当を「おもやく」と呼んでいたそうです。多分肉体的にも精神的にも「重い役」だったからでしょう。昭和町など甲府盆地の南は、地下水が高いところでしたから、土葬のための穴を掘っていくと水が湧いてきて、棺を水底に入れるようになったそうです。 純子さんも「健一が、葬儀に出て、あんなに水がいっぱいの中に入れたんじゃ、冷えっちゃってかわいそうだと云ってたのを思い出します」と弟さんを偲ぶように話してくれました。
土葬の場合は、一族で不幸が続くと穴掘りは、前葬した位置と重ならないように掘らなくてはならないので一層難しかったそうです。一升瓶の飲み残しの穴掘酒も一緒に入れたそうで、前回の穴掘酒が出て来ると「骨酒になって旨くなっている」と喜んで飲んだ穴掘人もいたそうで、「砂糖」同様「酒」が貴重な時代でもあったことを物語っています。