杉浦醫院四方山話―450 『 ピアノ再生物語1-心意気』
10月28日(水)午前8時に静岡県富士市を70歳になる辻村晴男氏は、愛車のスカイアクティブテクノロジーDデミオに技術主任・臼間雅代氏と必要な工具を積み込み、国道139号を登り、精進湖線を下り、一路杉浦醫院を目指しました。
辻村音楽企画店のピアノ調律部門を担う臼間氏は、出勤前に富士市内にある広見公園に行き、公園内に移築保存されている富士市の指定文化財「杉浦医院」の建物を撮影してからの出勤だったようです。
それは、かつて富士市内にあった杉浦医院を私たち見せてあげようと云う気遣いからでした。
朝陽にまぶしく輝く青を基調にした瀟洒な洋館は、三郎先生の兄・杉浦秀宜氏が西条新田から富士市伝馬町に移り、2代に渡り70年間開院していた「杉浦医院」です。
|
大正8年建築の富士市の杉浦医院 |
超ご多忙の中、ピアニスト佐藤恵美氏とのスケジュール調整などを行い、11月1日の院内コンサート実現にご尽力くださいましたテノール歌手の杉浦誠先生は、「私が杉浦医院を潰しました」と笑いながらおっしゃいますが、心に期すモノがあったのでしょう富士杉浦医院を閉じ、現在は「熱海所記念病院」の医院長を務める外科医です。
この富士杉浦医院で、誠氏の父に家族全員が世話になったと云う辻村氏が、誠先生が祖父の実家の杉浦醫院で院内コンサートを計画していることを知り、「杉浦先生の為ならば」と、ピアノの修復再生を買って出てくれました。
9月にピアノの状態確認の為、4人で当館を訪れ、「これならば、二人で一日かければ見違えるようになります。杉浦先生のコンサートに間に合う様、日にちを調整して来ますから、ボランティアで是非やらせて下さい。」と・・・
10時前に昭和町内に入るとコンビニを見つけた辻村氏は「迷惑をかけないようにおにぎりを買っていこう」とお茶とおにぎりの昼食を用意するなどボランティアに徹底しようと云うこだわりは、矢張り「職人の心意気」からでしょうか。
前後して、YBS山梨放送のスタッフが、まぼろしのピアノ再生修復の模様を記録しようとカメラを備えたところに辻村氏と臼間氏が、道具を持参して来館しました。
休む間もなく「先ずは、内外の磨きから」と、手慣れた要領で、鍵盤と天板を外しにかかりました。
辻村氏の「ピアノ調律論」は、「ピアノが工場から出荷された時の状態に出来る限り戻すこと」と明快ですから、単に音合わせのような「調律」と一線を画した作業が、著名なピアニストからの指名にも繋がっているでしょう。
今回の辻村音楽企画店のボランティア作業を「ピアノ再生物語」として、詳しくご紹介していきます。