2012年10月25日木曜日

杉浦醫院四方山話―190 『山葉ピアノ』

 2年前の今頃、当四方山7話『ピアノ』8話『ピアノ余話』で紹介した、杉浦醫院応接室にある今上天皇生誕記念のグランドピアノの予約販売用カタログが応接室書架の封筒に保管されていました。ハンドメイドの特注生産であることから予約販売先を募る文面には「今や国を挙げての慶賀記念すべき時に際会しピアノの備付が諸学校に於ける絶好の記念たるべき事を確信致します」とあり、主たる販売先は、諸学校に的を絞っていたようです。それは、このピアノの販売価格が、学校特価で1200円、正価は1450円とありますから、個人購入には無理のある高額商品だったからでしょう。そう云えば、昭和も30年代までは、学校は家庭には無いピアノ・オルガン・テレビ・ステレオ・楽器等々の最先端文化備品を誇っていた場所でもありました。
昭和8年当時の物価は、天丼40銭、封書3銭と円の下に「銭(せん)」の単位があった時代で、高級官僚の初任給が75円、小学校教諭初任給が50円だったそうですから、それで換算すると、当時の学校特価1200円は、現代の500万円前後、正価1450円は、600万円前後になります。杉浦家は、学校ではありませんから、正価の1450円で購入したと考えるべきでしょうか?・・・

 確かに、YAMAHAの創業者は山葉何某(失礼)でしたが、この時代には、既に社名は日本楽器製造株式会社で商標はYAMAHAになっていました。ピアノにもYAMAHAとしっかり入っていますが、「皇太子殿下御誕生記念」として売り出す関係上、ピアノは漢字に置き替えられないものの「YAMAHA」は「山葉」と漢字表記して、日本の国体に沿う表現が用いられたのでしょう。ピアノもアップライト型を「竪型ピアノ記念型」、グランド型を「平台ピアノ記念型」と苦心の漢字転換がうかがえます。カタログとは云え、文部省謹作「皇太子殿下御誕生 奉祝歌」の歌詞も3番まで載り、「予約限定台数 全国百台限り」と、あくまでも皇太子誕生を祝しての記念販売であることが強調されています。
「父が甲府の内藤楽器店に注文して購入しました」と云う純子さんのお話のとおり「甲府市富士川町12 内藤楽器店」と押印された専用封筒に納まっていましたから、山梨県の日本楽器代理店が当時も内藤楽器店であったことも分かります。