昨年の9月末から10月にかけては「養老の滝」の軸が座敷に掛けられましたが、今年は「将軍綱宗公御染筆」と木箱に書かれた茶軸です。
筆で書く書画を染筆(せんぴつ)と云いますから、それに「御」をつけて丁寧に持ち上げているのは、将軍綱宗の書いた書画だからでしょう。この将軍綱宗は、山本周五郎の歴史小説『樅ノ木は残った』にもなった江戸時代前期、仙台藩伊達家のお家騒動「伊達騒動」の中心人物で、歴史的評価は至って低い感もしますが、個人的には好きな歴史上の人物です。
仙台伊達家のお家騒動は、仙台藩3代藩主・伊達綱宗の遊興放蕩三昧を許せない叔父の伊達宗勝が策動して、幕府を動かし21歳の綱宗に隠居を命じ、2歳の息子を藩主にさせ、叔父宗勝が実質権限を握ったと云うのが大筋で、諸悪の根源は綱宗のご乱行だというのが定説になっているようです。
前話で触れた天野祐吉のラジオ深夜便「隠居大学」は、毎回多彩なゲストを迎えての対談が人気で「隠居のススメ」を説いている現役老人ですが、21歳で隠居生活に入った綱宗の前では、ヒヨッコでしょう。『武士は食わねど高楊枝』に代表される精神論や正論は、いつの時代でも形や対象を変えてまかり通ってきましたが、江戸時代と言う封建の世にあって、オノレの道を通した綱宗と正論で綱宗排斥に暗躍した?宗勝では、綱宗に惹かれます。どうも「遊興放蕩三昧」という六文字熟語は、「アイツは遊んでばっかりでどうしようもねーじゃん」と否定的評価に使われるのが一般的ですが、京都祇園のお茶屋遊びを江戸の「粋(いき)な客」と上方の「粋(すい)な客」が支え、単に金持ちの遊興放蕩としてではなく、舞や芸を愛で、酒宴をたしなみ人間同士の繋がりを大切にする独自の「おもてなし文化」を形成してきたことは京都の雅として定着しています。娯楽時代劇で正義の黄門さまの敵役と言えば田沼意次か柳沢吉保が定番で、甲府藩主としての柳沢吉保の評価も「遊び人」で芳しくありませんが、吉保は和歌に親しみ数々の詩歌を甲府でも残し、名園・六義園は、吉保自らが設計したと云う和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園です。文化的素養は、遊び心や放蕩で一層磨きがかかるのも確かで、現象的なありようで裁断され、真実が歪められてしまうのも世の常でしょうか。21歳で隠居を余儀なくされた将軍綱宗の書画は、秋の月を奥深く詠み、見事な書体に一筆で滲ませた月の画も味わい深く、遊興放蕩三昧の授業料なくしては醸せないものでしょう。