2012年10月1日月曜日

杉浦醫院四方山話―182 『西高放送部』

 現在の甲府西高は、私の高校時代には、甲府二高という女子高でした。二高の学園祭に水泳部仲間と行った記憶があるのは、そこで、当時3年生で巨人に入団が噂されていた甲府商業の堀内恒夫が、野球部仲間と連れ立って来ていて、「何だ堀内も人の子だなー」と皆で笑った思い出と詰襟の学生服でもトレードマークの首のホクロを拝観できたという収穫があったからでしょう。二高の前身は、甲府高女ですから、純子さんの母校で、「私は榎からボロ電で通いましたが、母も甲府高女でしたが、母はここから寿町(現文化ホール)まで歩いて通ったそうです」と話してくれました。
 甲府西高放送部のメンバーが今回は制服で、腕に放送部の青腕章を巻いて取材に来ました。 前回は、「高校生でこんなに熱心な子達も珍しいな」と思うほど興味を示しながら見学し、DVD鑑賞後も新聞資料に目を通しているので「何か質問は?」と聞くと「実は、西高の放送部で、地方病と杉浦医院をテーマに番組を作り、今年のコンクールに応募しようと思って来ました」と、「最初にそれを言えば、そう云う視点で案内したのに」と言うと「すいません」と素直な反応が新鮮で、資料の貸し出しや取材に協力する旨、話した結果の再訪でした。
 「今日もよろしくお願いします」と礼儀正しく「さすが純子さんの後輩だね」と褒めると「今日は、純子さんにもインタビューをお願いしたいんですが、大丈夫でしょうか?」と今回は一日の予定を最初に告げ、撮影や資料の確認などにとりかかりました。
 「子どもに誤魔化しはききませんから、子どもにこそ本物を見せたり、本当のことを教えないと」と常々云っている純子さんは、「こんな家でも若い方が入ると生き返ると父も若い方を歓迎していましたから、こちらへどうぞ」と母屋にテーブルやお茶まで用意して高校生のインタビューに応じてくれました。
高校生も最初のうちは正座していましたが「足がしびれたので」と・・・「足は伸ばしてください。しびれを我慢すると貧血を起こすこともありますから」と純子さんの話は、医学的説得力での優しさも特徴です。高校生のとっさの質問にも「流石純子さん」と言った応答の一時間でしたが、日本家屋の座敷で、きっちり正座して、きれいな言葉で丁寧に対応する大先輩を目の当たりにした事は、コンクールでの結果以上に貴重な体験となり、私のお粗末な堀内目撃記憶とは異次元な高校時代の良い思い出として残ることでしょう。