2012年1月25日水曜日

杉浦醫院四方山話―111 『誕生祝い-1』

   「私が生まれた時、竜王の新海祐六さんからいただいた誕生祝いですが、新年なのでお持ちしました」と純子さんから85年前の誕生祝いが届きましたので、ご紹介します。
新海祐六氏は、山梨英和学院の創立者でもある新海家の当主で、仲人を健造先生夫妻がされたり、杉浦家は新海家のかかりつけ医として、古くから懇意だったそうです。山梨を代表する製糸業を営み「新海七軒まき」と云われ、新海家一帯には、取り巻きの一族が何軒もあったそうです。
   写真上の箱には、赤ちゃん用の紅白の帽子と「上百歳 純子様 新海祐六」と書かれた祝儀袋に百円札が入っていたそうです。一緒に贈られたお宮参りの着物に付けていく紅白の「お守り」も箱に入り、ガラスの蓋が付いています。
 木箱には、写真のように「白木屋」のステッカーと印が残っています。現在では、「白木屋」は、居酒屋のチェーン店名と云った感じですが、かつて日本橋白木屋は、日本を代表する百貨店でした。昭和42年に東急に吸収され、東急日本橋店となりましたが、平成11年には撤退。白木屋呉服店以来336年の永い歴史に幕を閉じた幻の百貨店ですから、このステッカーも貴重です。甲府岡島百貨店のロゴマークも老舗白木屋のマークを模した感もしますが、白木屋百貨店については、昭和初期の白木屋大火災で日本女性が下着を着用するようになったかのように面白おかしくねつ造した新聞記事でも有名です。日本女性の「羞恥心」について、全世界に配信されたと云うこの手のねつ造は、現代まで綿々と繋がっているのでしょう。
 冠婚葬祭の杉浦家の形や流儀は受け継がれ、純子さんに踏襲されています。先日も茶道を通して懇意にしている方にご不幸がありましたが、純子さんは、通夜に合わせて、甲府の清水家に稲荷寿司を六十個、喪主宅に届けてもらうよう依頼していました。
「昔から、ご不幸は急なことが多く、駆け付けたご親戚の方などのお夜食になればと、いつも清水家さんにお稲荷さんを届けていただくようにしてきました」と純子さん。