先に紹介した神田・奥野かるた店では、軽井沢に大正時代の別荘を改装して「軽井沢ちいさなカルタ館」という資料館を開設し、百人一首や郷土かるた、花札、トランプ、カードゲームなどの珍しいコレクッションが揃っているそうです。
このような日本の遊具に特化した資料館は、京都にもあります。こちらは、「軽井沢ちいさなカルタ館」と比較すると資料館というよりテーマパークといった規模のようです。
藤原定家が百人一首を選んだという小倉山の麓に2012年に全面的にリニューアルされてオープンした「時雨殿」は、建築費用21億円を任天堂相談役の山内溥氏が個人負担したそうですから、任天堂・時雨殿でもあります。デジタル映像技術や携帯端末などハイテク機器を駆使し、百人一首の新世界を体験できると人気だそうです。この任天堂は、文字通り「運を天に任せて」大きくなった企業ですが、元々は、京都の花札屋だったそうです。昨日、純子さんが「これが、よく使った百人一首です」と桐箱入りの百人一首も持参下さいました。現代仮名ですから戦後のものでしょうが、箱の蓋には「丸福特製」(○の中に福)と焼印がありますから、(株)丸福の製品です。この丸福は、山内任天堂が昭和22年(1947)に改称した会社の名前で、5年程カルタの製造販売を行なった後、社名を任天堂に戻して現在に至っていますから、このカルタは、私が生まれた昭和24,5年の製品ということになります。現在では、この丸福の百人一首も資料館に納められている位ですから、大変なレアモノです。
純子さんから様々な杉浦家の「お宝」を拝見するにつけ、代々良いモノを大切に使い、しっかり管理して受け継いできた杉浦家の流儀を実感します。白州次郎、正子夫妻のように長い英国生活を通して、英国流を身につけた訳ではありませんから、杉浦家の価値観は、英国的価値観と同じだったと云えましょう。まあ、高度成長以前の日本では、もっとモノの耐用年数は長く、修理して使うのも当たり前でした。ゴミのようなモノが溢れ、買い替えを当たり前にすることで「成長」してきた日本経済と日本の「文化」生活ですが、真っ当な家や個人は、現在でもその辺については、きっちりした姿勢で生活していますが、少数だからこそ際立つ姿勢、美学となっていることも確かでしょう。