「昔の遊びと云えば百人一首やかるた位でしたから、母が読み手でよくやりましたが、これは大きさもちょっと小さめで遊びに使ったものとは違うので、お持ちしました」と、木箱に入った百人一首を純子さんが持参下さいました。
木箱の蓋には、品よく意匠の施された鉄の小さな取っ手があり、裏には「一〇六七 特許 春島」と彫られています。また、木箱の上部には、土蔵造りの店の前に人力車が横付けされ「和洋かるたおろし 小うり 中方屋」ののれんが描かれた店の絵札が貼られています。この二つの大きな情報があれば、この「百人一首」の素状は直ぐ分かるだろうと「調べておきます」と預かりました。
それから、「百人一首」や「中方屋」について調べ出すと面白い事実や知らなかった歴史も・・で、とても一回では紹介できませんので、「あれこれ」と題して、記していきたいと思います。
先ずは、「中方屋」について、四方八方調べても関連する資料がありません。その中で、現在、東京でかるた専門店として、ギャラリーも開設している「奥野かるた店」ホームページの右の写真に出会いました。店2階「小さなカルタ館」の展示写真ですが、前列左ケースの右側のセットが、木箱の構造も札の大きさもそっくりなので、電話で問い合わせてみました。最初の女性も「中方屋についてですね、お待ちください」と、心あたりもある様子で、店主とおぼしき方につないで下さいました。
「現在の蔵前から浅草橋にかけての辺に、上方屋、中方屋、下方屋が、並んでありましたねえー」
「上方屋と下方屋は、戦後、廃業しました。中方屋はもっと前に廃業したと思います。多分、明治、大正から昭和の初期までだったと思います」「文字が変体仮名で書かれたものでしたら戦前までのものです。戦後は、歴史的かな遣いを廃止して現代かな遣いで、競技かるたもやっています」「木箱の中は、縦2列ですか? 札の裏紙の色は?」 「赤茶色と云う事は、ヤクタイシですね」
「ヤクタイシと云いますと?」 「薬の袋の紙です。薬袋紙は、とても丈夫な紙ですから・・・」
「多分、大正時代のモノだと思います。神田に来る折には、持参下さい。先日も山梨のお寺の方が、木のすご六を持ってみえました。めずらしいカルタや百人一首、すご六など展示していますから」等々、勝手かつ急な問い合わせにも、目の前に現物があるかのような的確なご教示と全くの素人相手に親切に関連するお話までいただき、感動しました。電話を切ってから知りましたが、「カルタは子どもからお年寄りまでみんなで一緖に楽しめるので、避難所などで活用して・・」と被災地にカルタを無償提供しているという奥野かるた店。是非近々訪ねてみたいお店です。