新春ということもあり「百人一首」にまつわる話が続きましたが、最終回は、杉浦家の中方屋製と丸福製の「百人一首」を写真で紹介いたします。
「母は百人一首の歌を全て覚えていましたので、母が入ったら勝負になりませんから、いつも読み手でしたが、父は私たちと大差ありませんでした。軍医として出征もしましたが、戦争の話は好きではなかったのか聞いたことがありませんし、戦争中でも父も一緒に小倉百人一首を愉しみましたから、愛国百人一首はありませんし、どんな歌が入っていたのかも知りませんでした」と純子さん。 時流に振り回されず偏見のない家庭を三郎先生夫妻は大切にしたのでしょう、住み込みの運転手さんやお手伝いさんも国籍や障害などに関係なく雇用するなど、百人一首に限らず、杉浦家の家風はリベラルで、純子さんにもその片鱗は随所にみられ、来客が絶えない毎日に繋がっています。