2010年11月26日金曜日

杉浦醫院四方山話―7 『ピアノ』

 プレ・オープンの日から始まった山日新聞紙上での「杉浦父子の思いを未来につなぐ」連載記事の2回目は、応接室のピアノの前で取材に応じる純子さんの写真と記事でした。
「純子さんのお元気な姿を見てなつかしく、今日にも見学に行きたいのですが・・」といった問い合わから「よくぞ町が残した」や「ただ保存するだけでなく、若い高校生もかかわっていくという試みが素晴らしい」というものまで、あらためて新聞報道の反響の大きさに驚いています。
今にも純子さんが弾く音色が聞こえてきそうなピアノですが、それもそのはず、純子さんとは、75年以上の付き合いにもなります。今上天皇は、昭和8年12月23日生れですが、このピアノは、皇太子誕生の祝賀記念に、日本楽器=YAMAHAが、100台限定で製作したうちの1台です。天皇は「現人神」とされていた時代ですから、皇太子の誕生は、東京中に親王生誕を知らせるサイレンが鳴り、人々は旗や提灯を持って街を行列して祝ったそうです。
ベヒシュタイン社のグランド D280。
蓋を外し上から撮影
 この記念ピアノは、家庭用グランドピアノということで、ホールにあるグランドピアノより小ぶりですが、純子さんの説明では「中はドイツ製、外が漆塗りの日本製、鍵盤は本象牙」という造りです。デザインも鶴の脚をイメージした脚で、足置はガラス製の菊の御紋です。鳳凰が舞う姿を彫った譜面台など大変手の凝ったものです。
「父が、発売と同時に甲府の内藤楽器から買ったものですが、それが大変でした。友人の小野先生が、ピアノを買ったことを聞きつけて、怒鳴り込んできたんです。」「お前は、娘を歌うたいにする気かって。そんな時代だったんですよ」と純子さんは遠くを見るように語ってくれました。
 私の記憶では、昭和30年代の甲府でも、近所でピアノがある家は数軒だったように思います。杉浦3姉妹が、ピアノに向ってお稽古を始めると近隣の子どもたちが応接室東側の窓下に集まり、「背伸びして覗いたもんだ」と近所のFさんが話してくれました。
「車もない時代だから、めずらしピアノの音は、かなり遠くまで聞こえたなあー」と。

*1階応接室に当時のままの「記念ピアノ」があります。