杉浦醫院四方山話―388『2014雑感』
好きな車のナンバーを有料で選べる制度があり「希望ナンバー制」と言うそうですが、その希望ナンバーで人気のある番号は、ラッキーセブンと末広がりの八を組み合わせた「78-78」とか「いいパパ、いい母」の語呂合わせで「11-88」など「8」は人気のようですから、今年の四方山話も8が重なるこの388話で締めたいと思います。
今年一年を振り返って様々な「〇〇大賞」と云った報道が年末の恒例になっている感もしますが、そちらにはあまり興味もありませんが、今年亡くなった方などの報道には、歳のせいでしょうか、感慨深く見入る時もあります。今年で云えば、俳優の高倉健と菅原文太両氏の相次ぐ死は驚きと共に「昭和の終焉」を実感させられました。
1970年前後からの高倉健と菅原文太主演のいわゆるヤクザ映画は、娯楽映画の枠を突け抜けた大きな社会現象となりました。
画家の横尾忠則が健さんをモチーフに描いたポスターは飛ぶように売れ、「桃尻娘」で有名な作家・橋本治が学生時代書いた「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」のコピーを配した東大駒場祭のポスターも「背中で泣いてる唐獅子牡丹」を東大のシンボル「銀杏」に変えてのパロディー作品として一世を風靡しました。
この第19回駒場祭のあった1968年は、学生運動が東大から全国に広がった年でもあり、翌年1969年の東大入試は中止になった程でした。
「東大以外は受けない」と宣言して一浪中だった同級生の故K君は、高校時代「悲しみの多き母の赤い顔 母よわかれぞ 母よ泣くなよ」と詠いましたから、この時代に共通するシンボリックは「おっかさん・母」であり、突き詰めれば団塊世代など単に「マザコン」集団だったようにも思えてきます。
池袋文芸坐でオールナイトで観た健さんや文太さんは、今思い出しても間違いなく紫煙漂う先のスクリーンでの勇姿でした。「タバコを吸いながら映画を楽しめたのも昭和だったのだ」と、つらつらつら思い出します。
マザコンと云えば、今年の流行語大賞は「ダメよダメダメ」だそうですが、「ダメよダメダメ」なら森進一かと思いきや名前も知らないコンビでした。
健さんや文太さんで溜飲を下げて巷に戻れば、森進一が歌う「年上の女」で「だめよだめだめ つらいのと」と連発していましたから、矢張りあの時代は、マザコン集団が虚構の強さを求めて健さん、文太によりかかったと云うのが客観的なように思います。塊によりかかられたご両人には、素直に「ありがとうございました」と頭が下がります。
ヤクザ映画や学生運動が潮時を迎えた頃のヒット曲は、中島みゆき作詞・作曲の「時代」でした。「まわるまわるよ時代はまわる」のリフレインが思い起こされますが、最終フレーズの「今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ」は、マザコン男への中島みゆきの応援歌でもあり、「歌は世につれ世は歌につれ」で、あらためて「ことわざ」の奥深さにも思い至った一年でした。