2014年12月25日木曜日

杉浦醫院四方山話―387『長八の宿・つげ義春と山梨』



 

   静岡県の西伊豆にある松崎町の町長と観光協会会長ご一行様が昭和町に視察にみえ、当館にも来館いただきました。松崎町と聞けば「長八の宿」ですから、勝手に親しみを覚えてしまいましたが、漫画家でエッセイストのつげ義春の名作「長八の宿」は松崎町に現存する旅館を題材にした忘れられない作品で、30年以上前に泊りに行ったのを思い出してしまいました。  

 

 松崎町には観光協会があるように夏の海水浴だけではなく、山も温泉もあり、魚も旨いと云う恵まれた風土ですが、鏝絵(こてえ)発祥の地にふさわしく、左官職人による「なまこ壁」の街並みも保存され、その一角には、豪商の館・中瀬家や長八美術館など見どころも多く、伊豆と云えば松崎町が先ず思い浮かびますが、平成の大合併で西伊豆町になったものと思っていましたが、昭和町同様単独行政を貫いているそうで、一層親近感が増しました。

 

 

 寡作で、ある意味マイナーな漫画家・つげ義春ですが、私たちの世代ではカリスマ的な存在でもありました。私事で恐縮ですが、狛江市と調布市にまたがる多摩川住宅と云う団地内の小学校に勤め先が決まった時は、多摩川住宅につげ義春が住んでいて散歩が日課のつげ義春に会えるのが楽しみでした。シュールな作品も身近な多摩川住宅の給水塔や狛江駅前のお寺や古本屋など舞台が特定できることも魅力でしたが、つげ作品のテーマは、一家の「日常」とつつましい具体的な「夢」とささやかな「旅」の3本柱で、自己を「無能な人」と否定する暗さで一貫していました。

 

 このようにつげ義春は、甲州弁で云う「ひっけ」な性格(内気・人見知り)を作品に表象した作家ですから、取材旅行に出ることも少なく、家族で行く近場の温泉や振り向きもされない鄙びた片田舎が「旅」のテーマでもありました。散歩コースの多摩川はじめ調布から安近短の千葉や静岡、山梨などが主な旅先で、北海道など遠い旅は一切してないのも特徴です。そんな訳で、東京近郊のうらぶれた街や山峡の侘びしげな宿、名も知れぬ温泉を好んで訪ね歩いていたつげ義春は、山梨もお気に入りの旅先でした。 

 

 まあ、山梨と云えば富士五湖だったり八ヶ岳南麓が観光スポットなのでしょうが、そう云った所には見向きもせず、有名なエッセイ「秋山村逃亡行」は、山梨のチベットと云われた秋山村ですし、「猫町紀行」は、甲州街道の野田尻宿の犬目宿を目指すもののたどりつけぬまま 「猫町」 を見たと云う幻夢的な作品ですが、これも上野原市の外れが舞台です。

 

 つげ義春の代表作「ゲンセンカン主人」は、群馬県の温泉宿がモデルのようですが、現身延町の下部温泉にも来ていますから、下部の元湯「源泉館」からの命名でしょう。

 

その他にも「塩山鉱泉」「田野鉱泉」「嵯峨塩鉱泉」「鶴鉱泉」など山梨県民でも知らないような温泉宿を訪ねては作品に残して、山梨への移住も考えた程でしたが、「歳とったら寒さは こたえるし、耕作も考えると、気候温暖、地味肥沃(ひよく)の千葉県などが ・・・」とエッセイに記しています。

 

 そう云えば、もう20年近く前でしょうか、つげ義春全集が刊行された折、昭和バイパスにあったブックス三国に申し込むと、店主のMさんが毎月職場に届けてくれましたが、そう云った街の本屋さんも消え、つげ義春本もアマゾンで購入する時代ですから、つげ氏が描かなくなったのも無理からぬことのように思えます。