2014年6月23日月曜日

杉浦醫院四方山話―346『田植え・新着農具』

  昭和町内の田圃は、五月には八割方田植えも終わり、水を張った田んぼに緑の苗が風に揺れる涼しい光景は、肌寒い日には何となく違和感を覚えることもありました。

 先日、ある会合でご一緒したM氏が、「田植えも終わって百姓も当分、水見くらいで暇だから」と云うので、「最近は、田植えの時期が早くなりましたね」と聞くと、「百姓が暇になってやることが無いから、みんな早く田植えをするんだよ。昔なら、今頃は子どもの手も借りてお蚕さんをして、お蚕さんが終わって、田植えの準備にかかるんだから田植えは六月にならなければ出来なかったのにお蚕さんをやらない分、百姓が暇になって、田植えも早いんだよ。」と教えてくれました。


 そう云えば、小学生の頃「農繁休校」という農業の手伝いをする休みが、この時期にもあったのを思い出しました。農業をしてない家の子も農家の手伝いに行きなさいと云う休みで、桑摘みを経験した記憶がありますが、田植えの手伝いは記憶にありませんから戦力外だったのでしょう。高学年にになった頃には、楽しみだった「農繁休校」もなくなりましたから、かえってガキがウロウロは足手まといだったのかも知れません。


 西条二区の若尾先生から、「昔使ったモノですが、よかったら使ってください」と、新たに農具と民具をご寄贈いただきました。


 上の写真は、田植えの際、一直線に揃えて植えるために使われた木製農具で、田面に縦横の印をつけてその交叉点に植えていくための農具で、若尾先生によれば「正条植定規」と呼ばれていたそうです。「これは、地域によっていろいろ違ったモノを使っていたようですが、甲西町の辺でこれが使われていて、前でも後ろでもコロコロ転がせば良いので、重宝しましたよ」と。確かに、右下の写真も同じ用途のモノですが、これで田面に印を付けていくより回転式の方がより効率的だったことでしょう。  

 正六角形で現在も使用可能なしっかりした造りなので「先生が作ったのですか?」と聞くと「いえいえ、これは大工さんに作ってもらった」そうですが、広い泥田の中を転がされて活躍してきたのにどこも壊れていない「コピッとした造り」に感心します。

 

 田植えに使ったもう一品は、「苗かご」です。苗束を田んぼに運び、早乙女(さおとめ)と呼ばれた田植え実戦部隊の女性陣に苗を投げ入れるのが男の仕事でした。材質は竹で、苗束が落ちない程度にかつ水切りが良いように粗く編まれていたのが苗かごの特徴です。

 

 そう云えば、「地方病」に罹った患者に女性が多かったのは、田植えで長時間水の中に入り、比較的足の動きが少なかったからだという指摘もありました。現在では、田植えも機械化され、昔のように大勢の人が集まった賑やかな田植え風景は、子どものお田植え体験教室でしか見られなくなりました。農業の機械化もM氏の言う「百姓が暇になった」大きな要因でもあるのでしょう。