2013年4月12日金曜日

杉浦醫院四方山話―226『留守ノート1・庭園に春・花々の協奏』

文明が進んだと云う現代社会は、「待たなくてよい社会、待つことができない社会だ」との指摘もあるように、私たちは自分の意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないものへの感受性をなくし、腹をたてストレスを感じる人種になってきているようです。             

サイバー攻撃によるホームページの閉鎖を機に自分の手を超えたものには「待つしかない」という断念についても考えさせられました。
江戸の町人は、「待たされる」という被害意識より「待つもまた楽し」とか「待たせてもらえる幸せ」という余裕の文化を形成していましたが、昭和初期には、太宰治が「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と、「待たせる身」の辛さを敢えて強調したフレーズを名言として残していますから、時代や文明の進歩と共に「待つ」文化は衰え、「待たせる」ことは罪悪と云った価値観が定着してきたように思います。

 
 「冬来たりなば春遠からじ」の諺も「待つ」姿勢についての含蓄と人生訓でしょうが、教えの通りHP閉鎖中に杉浦医院の庭園は一気に春景色となり、隣の正覚寺境内を埋め尽くす満開の桜を主旋律に杉浦医院庭園の花木がハモル、「花々の協奏」と云った風情です。
ハモル・・・で、もう30年近く前でしょうか、ヒット曲「待つわ」の女性デュオの「私、待つわ」のリフレンを思い出しましたが、これも待つ女性が希少価値となり目新く、受けたのでしょう。

再構築されたHPが、いつから再掲載されるのか、じっと待つ身には分かりかねますが、自然は人間の都合どおり待ってはくれませんから、2013328日の春到来の庭園を書き記しておいて、再スタート時を花で飾りたいと思います。