2013年2月6日水曜日
杉浦醫院四方山話―219 『杉浦医院照明器具-4』
杉浦医院2階は、病院施設として使われたものではなく、主に杉浦家の客間として使われていたそうです。三郎先生の長男で、純子さんたち三姉妹の弟の健一さんが、学生時代は勉強部屋として使い、大学時代は友人を連れて帰省し、この部屋で夏休みを過ごしたそうです。
東京で自衛隊中央病院の勤務医になられてからも「ここで、湯豆腐屋でもやろうかな」と、帰るとよく冗談で言っていたと純子さんが話してくれました。
自衛隊中央病院で、三島由紀夫の割腹自殺や御巣鷹山の日航機墜落事故の救急医療にも活躍されたそうですから、都心の勤務医の激務な毎日を思うと、田舎で通人粋客相手においしい湯豆腐屋でも・・・は、健一さんの67歳の人生を思う時、あながち冗談だけではなかったようにも感じてしまいます。何より「湯豆腐屋」という具体的なイメージが、健一さんの嗜好と人柄を象徴しているようで、私には大変リアルに思えるのも同じような年齢に差し掛かったせいでしょうか。
そんな勝手な感傷も手伝って、2階の八畳二間に静かに控え目に吊り下げられた全く同じ二つの照明は、八代亜紀でしたか、「灯りは ぼんやり 灯りゃいい」で、襖を引いて二組の客が、この灯りの下で火鉢の炭火で程良く温まった湯豆腐をつつきながら、ぬるめの燗酒を静かに酌み交わすのに絶妙な灯りに見えてきます。それは、港町では「肴はあぶったイカでいい」のですが、盆地で日本庭園のこの地では「湯豆腐」でしょう。ついでに「女は無口の方がいい」は、「静かな酒がいい」と、阿久悠センセイもお考えだったのでしょう。
いやはや、脱線してしまいましたが、女性来館者からは「わぁー、かわいい」と思わず声があがるように丸く曲線が活かされたデザインと主張しない花模用も施された和笠も昭和4年新築時のものです。