当ブログで、木喰上人と微笑仏の研究に打ち込んだ丸山太一氏について何回か紹介してきましたが、山梨県の在野の研究者として、丸山氏とも親交のあった中沢厚氏の業績も伝承していく必要があります。息子である中沢新一氏が「どうして父さんはそんなに石に興味があるの」と問いかけたというエピソードがあるように県内の道祖神や丸石をつぶさに調査し、『石にやどるもの―甲斐の石神と石仏 』にまとめました。その後、学生運動昂揚期にデモ隊の投石をテレビで見て「つぶてとは何だったんだ」と、自分が少年時代経験した、笛吹川の石合戦の記憶から「つぶて」の研究へと進み、法政大学出版会からの『つぶて』を生みました。
都市化と管理社会の進行で、山梨県内でも石を投げて遊ぶ子どもの姿はすっかり消えた昨今ですから、「つぶて」も死語と化し、説明が必要になりました。『広辞苑』には、『つぶて[飛礫・礫]小石を投げること。また、その小石』とありますが、川の両岸に陣取った子どもや青年が向こう岸の相手目がけて石を投げ合う競技でもあり遊びが、かつてありました。それは、大人への通過儀礼としての意味も内包していたことを中沢氏は指摘しています。また、池や川の水面に石を投げ「水きり」の回数を競う遊びも日常茶飯事でした。
人間は、鳥や魚、動物が出来ない「投げる」という動作は得意ですから、野球や球技もこの投てき能力を基本に発達したスポーツです。石投げや水切りは、離れた地点に変化を生じさせることに喜びを見いだした人間だけの遊びで、この投てき能力は、人類の文明や精神に大きく影響しきたことは確かでしょう。現在のインターネットも石投げや水切り遊びの延長上―より遠くまで、速く、正確に―に構築された文明だとも云えますから、「安全」だけを優先して、絶やしてしまうのは考えものです。
水切り遊びをしながら、石の形状や重さ、投げ入れる角度とスピード、その為のフォーム等々を工夫し学習したことは、「物理学入門」でもありました。水きり現象は途方もなく奥が深く、謎の多い現象ですから世界中の少年や大人がハマった遊びだったのでしょう。管理スポーツの少年野球をはじめとするスポーツ少年団等で汗を流すのと違って、気晴らしやストレス解消に石を投げて遊ぶという楽しみが奪われた現代社会、子どもにとって幸せか否か分からなくなります。
そんなことも考えさせてくれる中沢厚氏の論考も語り継いでいかないと消え去ってしまいそうです。