2012年7月12日木曜日

杉浦醫院四方山話―157 『診療録・カルテ』

 杉浦醫院は、建物のみならず、内部も閉院当時のままが保存されていることから、来館者にも驚きや懐かしさも含め、ご好評いただいています。例えば、ここに通った患者さんのカルテやレセプトもそのまま残っています。
 昭和23年に出来た「医師法」24条で、「 医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録(カルテ)に記載しなければならない」と定め、「その医師において、5年間これを保存しなければならない」としていますから、カルテの保存義務は、最後にカルテに記載した日から5年となり、とっくに処分されていてもおかしくないものです。昭和30年代の莫大な枚数のカルテですが、杉浦医院に通った患者さんの地域と数の統計を出してみようと整理を始めました。平成の大合併前の市町村ごと袋分けしていくと袋の枚数が50袋以上になります。県外も秋田から関東一円全てと愛知、京都、宮崎までの10県に及び、県内は富士吉田から小渕沢まで44市町村ですから、ほぼ全市町村から来院していたことが分かります。
 長い間、カルテは「患者に見せる必要はない」とされ、医師のメモとして「何を書いてもいい」し「適当に書き直してもいい」という意識さえあったと云われてきました。興味があって、のぞいても専門用語をドイツ語か英語で書くのが普通でしたから、記載内容を知ることは出来ませんでした。
それが、2005年4月施行の個人情報保護法で、カルテなど診療記録の取り扱いが大きく変わりました。本来、カルテに書いてある内容は、患者にとっての個人情報ですから「自分の情報を見る権利」は、憲法上も保障されていましたが、法制化して、開示を義務化するまで「白い巨塔の伝統」として変わりませんでした。まあ、個人情報保護法もEU・ヨーロッパ連合が、EU加盟国に対し、他国との間で個人情報のやりとりをする際には、自分の国と同程度の個人情報保護法を整えていなければ、その国との間で個人情報のやりとりをしてはいけないと定めたことから、EU加盟国と取引できなくなっては困ると日本でも慌てて作った個人情報保護法ですから、「外圧」の産物でしょう。アメリカの外圧で、学校の完全週休2日制も敷かれたように日本のシステムは内からではなかなか変わらないのも「伝統」でしょうが、カルテ開示義務化以降、医療訴訟も多発し、欧米化しましたね。