山梨のお土産と云えば「信玄餅」か「黒玉」と共に浮かびますが、この「信玄餅」の本家争いも記憶に新しい所です。もともと「信玄餅」は「金精軒」が登録商標をしていた商品ですが、「桔梗屋」が、新たに茶巾パケージで「信玄餅」を発売したことから、「金精軒」と「桔梗屋」の間で、信玄餅の本家争いが起こり、結果、桔梗屋の信玄餅は「桔梗信玄餅」となって決着したようです。京都名物「八つ橋」でもありましたから、この手の「本家争い」は、山梨に限りませんが、大雑把な感覚で言うと山梨県民はバトル好きなようにも思います。「信玄餅」も両社の食べ比べで評価を楽しだりと、その後は、両社も共存共栄しているようにも思います。
まあ、頭に「桔梗」と冠を載せたり、「本家」と「元祖」に振り分けたりで決着するのは、日本人の深い知恵なのでしょう。
まあ、頭に「桔梗」と冠を載せたり、「本家」と「元祖」に振り分けたりで決着するのは、日本人の深い知恵なのでしょう。
前話の「木喰の里微笑館」と「木喰記念館」のバトルも視点を変えれば、あの狭い丸畑の山あいに両館と再建された四国堂の3か所を廻る木喰の里フィールドワークには、貢献しているようにも思います。丸山太一氏の資料や著書は、両館にあるように「木喰上人」の研究家丸山氏は、木喰上人を通して「真言密教」「日本人の死生観」「日本人のDNA」等々から「ユング哲学」までを考察し、木喰が微笑仏を彫った全国各地に木喰と同じ年齢の時、実際に自分も足を運んで現地の微笑仏を拝観してきたと言う木喰行道研究の第一人者です。反面「ですから、木喰が死んだ93歳で、私もあの世に行く予定でしたが、2歳もオーバーしてしまい困っています」と洒脱に話す文化人でもあります。
郷土史にも造詣が深く、のむら清六画伯始め郷土史に輝く多くの方々との親交もあり、丸山氏の人格に信頼がおかれ協力を惜しまなかったことが「木喰精舎」の随所にみられます。その辺の記憶や正確な知識も抜群ですから、バトル好きと云う県民性?も確かならば、伝承に価する風土と云うことで、「木喰」や「信玄餅」同様の具体的な「本家争い」についてもご教示いただいて、山梨県民が本当にバトル好きなのか否かの検証もしてみたいものです。「ケンカのような会話」も甲州人の特徴ですから、先ず「マチガイナイ」自信もあるのですが、何のことはない、私が格闘技も含めて、バーサス好きなのでしょう。
郷土史にも造詣が深く、のむら清六画伯始め郷土史に輝く多くの方々との親交もあり、丸山氏の人格に信頼がおかれ協力を惜しまなかったことが「木喰精舎」の随所にみられます。その辺の記憶や正確な知識も抜群ですから、バトル好きと云う県民性?も確かならば、伝承に価する風土と云うことで、「木喰」や「信玄餅」同様の具体的な「本家争い」についてもご教示いただいて、山梨県民が本当にバトル好きなのか否かの検証もしてみたいものです。「ケンカのような会話」も甲州人の特徴ですから、先ず「マチガイナイ」自信もあるのですが、何のことはない、私が格闘技も含めて、バーサス好きなのでしょう。