2012年7月3日火曜日

杉浦醫院四方山話―154 『草履・下駄-2』

 日本人の生活様式も大きく変わり、住宅も和室より洋室が占める割合が増え、玄関で靴や履物を脱いで家の中に入る習慣は、依然変わっていないのが不思議なくらい畳からフローリングになりました。
同じように西欧人からみれば、湯気が立つ熱い湯に入浴したり、ふとんを敷いて寝ることなど日本人の当り前の生活様式をアレコレあげつらう外国人は後を絶ちませんが、何から何まで洋式に行かない必然性があるのでしょう。それは、日本人の生活様式は、日本の気候や風土、産業を基に育まれ、そこから日本独特の文化が生まれ、定着してきた長い歴史に裏打ちされた伝統文化になっているからでしょう。
 履物は、脱ぐことを前提にしてきましたから、着物の草履も脱いだ後の見映えにまで心配りがされています。純子さんの草履の柄をアップしたのが上の写真です。手間暇かかるつづれ織の模様が、揃えて脱いだ時、左右で繋がり、左右一体で一つの絵柄になるという細やかさです。「時代が変わって、最近はホテルなど履物を脱がないままでの会合も多くなりましたから、草履も鼻緒に凝るようになりましたね」と純子さん。
 履物にとって、一番変わったのは、道路でしょう。デコボコ道や水たまりの土の道が無くなり、アスファルト舗装された道路が当たり前になりましたから、雨の日に長靴を履いて登校する児童の姿もめっきり少なくなりました。
「雨の日は、雨下駄が欠かせませんでしたね。雨草履もある時代ですから、こんなに道が良くなると雨下駄を履く方もいませんね」「雨下駄もそのうち時代劇でしか見られなくなるんでしょうね」「雨下駄は、着物にはねをあげない形になっていましたね。歯も高く、浸み込まないよう表には竹の皮で編んだ畳表が貼られ、つま先には、皮の爪皮がついていました。爪皮も今ではカラフルなビニールで、木も防水の塗りで、随分軽くなったようですが・・・」まあ、女性用の草履や下駄だけでも用途に応じて何種類もある日本の履物文化ですから、ポッと来た外国人にその深遠さが解かろうはずもないのでしょう。