2012年4月5日木曜日

杉浦醫院四方山話―130 『ホタルー1』

この2枚の手ぬぐいは、杉浦家が反物で注文して、近所の農家から野菜などいただいた折にその場で切ってお礼の品にしていた手ぬぐいです。「普通の手ぬぐいより大きめだったことから、使い勝手が良いと喜ばれました」と純子さん。

白地に紺というオーソドックスなお洒落な色合いにホタル舞う図柄と味わい深い「ホタルの里 杉浦」の文字が見事です。このようにかつての昭和町は、「源氏ホタルの里」でした。8代目杉浦健造博士は、伊藤博文の侍従医小澤良斎医師のもとで修業し、医業開業免許状を得ましたから、横浜の中心・野毛で修業時代を送りました。この横浜では、お腹が膨らんで痩せ細る地方病特有の患者は皆無だったことから、山梨に限った病気である可能性があると、原因不明で奇病とされていた地方病の原因究明に立ちあがりました。「地方病の患者の多い地域には、必ず初夏にホタルが乱舞する」と、ホタルのエサであるカワニナと地方病の因果関係についての健造先生の仮説が、後のミヤイリ貝発見に繋がったと云われています。
 江戸末期に都々逸坊扇歌が大成した口語の七・七・七・五の定型詩は、三味線と共に歌われる「都々逸(どどいつ)」として、寄席や座敷芸で現代にも受け継がれています。男女の恋愛を歌ったものが多かったことから情歌とも呼ばれていますが、この都々逸(どどいつ)の傑作のひとつに「恋に焦がれて鳴くセミよりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」があります。また、閑吟集にも「我が恋は、水に燃え立つ蛍々、物言わで笑止の蛍」もあり、「忍ぶ恋」が恋の原型で、物言わず恋い焦がれる忍ぶ恋の象徴としてもホタルは欠かせません。