昭和初期の甲府市鳥瞰図 |
私事で恐縮ですが、18歳から山梨を離れ、42歳で帰郷するまでの間に甲府の町名は一変してしまい、昔の何町と何町が「丸の内」なのかも分からなくなり、太宰が新婚時代を過ごした「御崎町」が「美咲」だなんて・・・純子さんの「百石町の知事公舎の隣に」の方が、ピンとくるということは、ジジイである証しでもありますが、「歳を重ねて分かる事もある!」に意を強くして・・「代官町」「桶屋町」「魚町」「鍛冶町」「袋町」「白木町」「柳町」「城屋町」・・なつかしい「私の城下町」の町名と共にそこに住んでいた友人や親せきの顔も一緒に蘇ります。これらの歴史的遺産としての旧町名を郵便配達などの効率を優先させ消滅させた甲府市の町名変更は、私に限らず市民、県民の「私の城下町」を博物館に追いやっただけと思うのは私一人ではないでしょう。朝日新聞山梨版に女性記者の「中心街「ココリ」開業2カ月 裏切られた活性化の夢」と題する歯切れ良い厳しい総括がありました。
ノスタルジーからだけではなく、甲府の再建には、集客施設建設問題より「城下町・甲府」を再構築していく、町名再考を含めた基本計画が聞こえてこないのが、私には残念です。