2010年12月8日水曜日

杉浦醫院四方山話―10 『モミジ』

 洋の東西を問わず、人間は庭を造り、散策やコミュニケーションの場にとどまらず、音楽や美術と同様に、そこで思索したり観想したり、時には緊張感や安らぎを得る場所として、庭を楽しんできました。この庭が持つ芸術性と社会性は、それぞれの文化が育んだ多彩な庭園として残されています。「西洋の庭園が多くは均整に造られるのにくらべて、日本の庭園はたいてい不均整に造られますが、不均整は均整よりも、多くのもの、広いものを象徴できるからでありませう。勿論その不均整は、日本人の繊細微妙な感性によって釣り合ひが保たれての上であります。日本の造園ほど複雑、多趣、綿密、したがってむずかしい造園法はありません。その凝縮を極めると、日本の盆栽になり、盆石となります。」と川端康成は「美しい日本の私」のなかで述べています。
 
 先日の雨と風で、すっかり葉を落とした杉浦醫院のモミジですが、杉浦家が育んだ庭園は、このモミジを主体に造形された日本庭園で、杉浦家の文化を表象している庭でもあります。小宇宙の主役をモミジとしたことで、秋には、素晴らしい紅葉絵を見ることが出来ます。赤く染まったもみじの奥には竹林の緑を、敷き詰めたような赤い落ち葉の中には椿の緑が・・といった「繊細微妙な感性によって釣り合いが保たれ」るよう造られています。同時に、何気なく置かれたようにも見える石燈や飛び石も苔の緑を想定した「綿密」なものですし、趣がある湧水池も竹やモミジを映しています。今年、町がこの庭の剪定、移植から敷き石までトータルで整備を委託した日本庭園を専門に手がけるS氏は、「全て手彫りの石燈や池の石積み、建物と庭木の高さなどこの庭の素材と造り、趣味の高さは、個人庭園では、京都の庭にも負けない水準です」と評していました。母屋の座敷を囲む庭は、「水位が高かった頃は、苔庭で、一面緑でしたが、昭和水源が出来てから水位が下がり苔も枯れました」と残念そうに話す純子さん。「水の問題なら井戸水は十分出ているので、こまめな水やりで蘇るはずです」とS氏。今年の杉浦醫院の紅葉絵は、終わりかけていますが、四季折々の庭園が楽しめるよう、日々の手入れを重ねていきますので、乞うご期待!

*うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ(良寛)