杉浦醫院四方山話―433『広報しょうわ 8月号』
甲府盆地は「夏暑く冬寒い・内陸性気候」の代表的な地域ですから、連日猛暑が続いています。前話のセミの声も夏の風物詩でしょうが、人によって「高校野球」とか「ビヤガーデン」、「花火」だったりと夏を感じる風物詩も違うのでしょう。
まあ、ガキの頃は「蚊帳(かや)」とか「アイスキャンディー」「虫捕り」が、私の夏でしたが、蚊帳は使わなくなり、アイスキャンディーは「ビール」に変わり、虫捕りより「そうめん」の方が・・・と、齢と共に変換してきていることが自覚できますから、「風物詩」になったらお終いと云う一面も感じます。
こんなことを書き出したのは、昭和町の「広報しょうわ」8月号に誘発されたからです。
表紙写真のように今号は、担当者が取材した特集記事が中心です。
通り一遍のお知らせ記事で埋め尽くされた広報からは、読者を突き動かしたり、考えさせられたりと云った刺激は期待できませんが、特集を企画した担当者の意図や思いなども伝わる記事は、自然にアレコレ感想めいた読後感を読み手にも誘発しますから、広報の官報からの脱皮は、この辺にかかっているように思います。
今号の「この町の戦争を伝える」特集は、「この町」に限定した企画で、話題も登場者も全て町民であることが、光っていました。「町の広報だから当たり前」のようですが、どっこいイワユル「学識経験者」などを引っ張り出してまとめるラージA手法の広報もよく見かけます。
身近な町民が、実はこんな体験をして、現在あるのを知ることで、今度会ったら、これも聞いてみようと云う具体的な感想が出てきます。これこそがスモールaの良さで、「風化」を食い止める有効な手段は、ラージAではなくスモールaの積み重ねにこそあると考えるからです。
例えば、これから8月の「風物詩」にもなっている「原水爆禁止世界大会」や「終戦記念行事」等、70年前の敗戦にまつわるニュースがテレビや新聞などマスコミでも目白押しになるのでしょう。
これは、広島や長崎からの70年前と同じ暑い夏の生中継や総理大臣の形式的な追悼演説などのラージAの報道ですから、心に響かなくなって久しいのは、私一人ではないでしょう。
このように風化して「風物詩」となってしまった報道は、語り伝えたい子どもや若者にも届かない現実が顕著になってきている中で、「広報しょうわ」の特集も戦後70年特集で、同じ年中行事としての「大戦の記憶」に成りかねない危惧があったのですが、今号の内容は見事にその辺の危惧を覆してくれる内容になっていました。
それは、学識経験者や政治家をバランスよく配した記事ではなく、あの大戦を潜り抜けて現在の昭和町で生活している方々の生の声で構成されているからこそ素直に耳を傾けたくなるのでしょう。
広報に限らず、形式的な言葉や構成を排していかなければ無意味な時代が、双コミュニケーションの発達で益々進んでいることを実感しました。