杉浦醫院四方山話―435 『井内正彦論文集』
この度、東京医科歯科大学寄生虫病学の太田伸生教授から当館に「井内正彦論文集」全3冊はじめ井内先生の文献資料が寄贈されました。
この資料は、井内先生が甲府市立病院を退任される折に当時の山梨医大寄生虫教室の中島康彦教授に寄贈した資料ですが、中島教授から医科歯科大学の太田教授に引き継がれ、太田研究室に保管されていました。
信州大学医学部の前身、松本医学専門学校を卒業した井内先生は、甲府市立病院の内科医として赴任したことから、日本住血吸虫症=地方病の患者を診る中で、この病気が肝臓や脾臓に与える医学的研究を始められたそうです。
後輩の林正高先生は、「張満とか腹っぱりと呼ばれたようにこの病気の患者はお腹が膨らむのが特徴ですが、虫卵は腸から門脈を通って肝臓にも流入し、その虫卵が血管を詰まらせて炎症を起こし、最終的に肝硬変になると腹水がたまり、おなかがパンパンにはれた訳ですが、井内先生のこの膨大な研究論文は、一貫してこの肝臓や脾臓の研究成果ですから、地方病が及ぼす肝臓、脾臓の障害は、この論文集に集約されています」と、井内論文の地方病資料としての貴重性を挙げています。
製本された3冊の「井内正彦論文集」は、1965年(昭和40年)から1989年(平成元年)までの約四半世紀分ですが、林先生は、「井内先生は、この後もかなりの論文を書きましたから、製本されてないファイル綴じ状態の論文集の行方を探していたのですが・・・それはありませんね」と、残念そうでした。
太田先生が保管していた「井内先生の資料」には、論文の他にも貴重な資料がいくつもあります。
その一つ「山梨県における農村保健衛生調査報告書」は、大正7年4月に「内務省衛生局」が山梨県の保健衛生の実態調査をした報告書で、「秘」の取り扱いになっています。
巻頭文は、大正6年に内務省にて開かれたる警察部長会議に於いて宮入慶之助博士が講演した「如何なる調査にも必ず相当の方法を要す」です。
「大正6年」「内務省」で、ピンと来るのは「俺は地方病博士だ」です。
「こんな病気が広がってくると、国が貧乏になって弱くなって、ドイツどころ支那と戦争も出来なくなるかも知れない。だからこんな病気の虫は早く退治してしまわねばならぬ」と博士が説くように地方病患者の多かった山梨県の青年は、身長140センチ前後で、他県の小学校5、6年生並みだったことから、富国強兵施策上も「ほっとけない」病気だった為、内務省が直接調査の乗り出したのでしょう。
この調査報告書の内容も精査して報告していきたいと思いますが、その他の資料についても随時ご紹介していきます。