2015年8月5日水曜日

杉浦醫院四方山話―434 『ラージA・スモールa』

 前話「広報しょうわ」の中で、「ラージA」「スモールa」という表記をしましたが、早速Sさんが「俺には分かるけど意味不明な人もいるんじゃない」と、感想を寄せてくれました。



 確かに「ひとりよがり」という言葉があるように自分だけ納得していても伝わらないのであれば失礼でもありますから、Sさんのクレームには素直に感謝しましたが、どうもブログと云うジャンルそのものが、最終的には「究極のひとりよがり」でなければ、存続しないジャンルなのではないかと思う今日この頃でもあります。



 そんな訳で、「ラージA」「スモールa」について、これも「ひとりよがり」になるかも知れませんが補足説明させていただきます。



 その昔、京都大学農学部を卒業して故郷・信州に戻ったマルクス青年は、農民の生活向上のため電柱や板塀に「労働者・農民は団結して闘おう!」とか「今こそ、農民は起ちあがれ!」と云ったアジビラを貼って歩きました。

そんな息子に父親は「いくら農民に起て!起て!貼ったところで、誰も起つわけねー」と、言い放ったそうです。

 

 結果は、父親の云うとおりで、「農民が貧しいのは、政治が悪い、社会が悪いからで、貧しき者は団結して起たなければ何も変わらないのに頭デッカチの青二才がいくら決起をうながしても貧しい農民諸君はついてこない」という現実を知らされ、自分が信じていた考え方に問題があることに気付いたそうです。

 

 「政治が悪い、社会が悪いは、ラージAの問題で、貧しい農民にいきなりラージAの問題に起てと云っても通用しない現実から、私はスモールaを考えなければならなくなりました」と、マルクスボーイ・玉井青年はぶち当たった壁からスモールaを考察するようになりました。


 

 「つくったカキが売れないから貧しい」、「一斉に実る野菜や果物は、売れても安い」「歳だから難しい講習会に出て、新しい農業ももう無理だ」・・・・こういう現実の問題に一つ一つ対処していくことしか貧しさからの脱却は不可能だ。こういう日常的な課題をスモールaとして、これに取り組めば農民もついてくる。「そうだスモールaを農民から教えてもらう」と、思い立ったのが玉井袈裟男氏の原点だったそうです。


 そこから玉井氏は、各地の公民館に出向き、農民が抱える悩み=暗い感情を共に考え、明るい感情に変える学習会を積み重ねました。

 

 玉井理論では、天下国家を論じるラージAを得意とするのが学識経験者である大学教授だとか評論家と云った人たちで、この種の人を「風の人」と規定して、農民はじめ額に汗して働く人や地域に生きる人を「土の人」として、スモールaの思考をする人々としました。



 そして、風の人と土の人の協働が、日本社会に欠けた一番の弱点で、地域おこしにこそ必要な課題であることを次のような「詩」で、やさしく教えてくれました。

 
 
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   風の人、土の人  玉井袈裟男 詩集「風のノート」

 

   風は
   遠くから理想を含んでやってくるもの

   

   土は
   そこにあって生命を生み出し育むもの

 

   君 風性の人ならば土を求めて吹く風になれ
   君が土性の人ならば風を呼びこむ土になれ

 

   土は風の軽さを嗤(わら)い
   風は土の重さをさげすむ
   愚かなことだ

 

   風は軽く涼やかに
   土は重く温かく
   和して文化を生むものを

 
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尚、玉井袈裟男先生については、当ブログのラベル「玉井袈裟男」もご参照ください。