杉浦醫院四方山話―421『ー国史大辞典ー物語4』
純子さんは「買っても読んだのかどうか」と謙遜していましたが、杉浦家の国史大辞典を紐解くと検索して読んだ形跡が随所にありました。それは、付箋だったり紙片がはさまれていたりですから、「この項目を調べたのかな?」と想像するのも一興です。
例えば、紙片が入っていた222ページと223ページには、「イハツキジョウ(岩槻城)」から「イハヒべ(祝部)」まで約15項目についての辞典になっていますが、これは多分「イハヒべ(祝部)」を調べたのでしょう。
純子さんにその辺を聞くと「そうですね。父や祖父より母がよく調べ物をしていましたから、一番使ったのは母かも知れません」との話で、多種多様な器などが残る杉浦家ですから「イハヒべ(祝部)」が、「古代日用または祭事等に食料もしくは飲料等を入るるに用ひたる土器の一種」と、挿絵と共に解説されていて、現存する杉浦家の器とよく類似した挿絵の祝部土器が幾つかありますから、ほぼ間違いないでしょう。
上の写真は、「挿絵及び年表」が納められた別冊の2ページ分です。明治40年の日本のカラー印刷技術の高さに驚きますが、このページに限らず豊富なカラー挿絵そのものが写真とは違った精密さと色合いで楽しめます。
ご注目いただきたいのは、そのページに挟まれていた葉脈の手づくり栞(しおり)です。葉と重曹さえあれば比較的簡単にできる栞ですが「この本にこの栞あり」と云った感じです.
杉浦家の庭園には「葉」は幾らでもありましたから、こうして手間をかけて栞も創り、さりげなく使っていた様は、矢張り本の楽しみ方にも造詣があった証左のように思います。
厚く重い本編には、下の写真のように庭のモミジを「押し葉」していたページが幾つかあります。
押し花ですと花の色が本に沁みますが、紅葉した葉なら本を汚すこともなかったのでしょう、本の重さを利用して「押し葉」も愉しむ、ここにも何げない杉浦家の風情と云った文化教養が滲み出ているように思います。まあ、「ローマは一日して成らず」は、この辺についてこそ言えるようにも思います。