杉浦醫院四方山話―420『ー国史大辞典ー物語3』
杉浦家の蔵書印を確認する過程で、控えめに押された「柳正堂」の丸印が二冊の奥付にあることが分かりました。
この丸印は、なぜか朱印ではなく紫がかった青印ですが、予約出版だった「国史大辞典」を健造先生は、甲府の柳正堂書店を通して予約し、柳正堂が杉浦家に納品したことが分かります。
また、佐滝氏が所蔵の「予約芳名録」には、地方の書店の名前も多く登場するのが特徴のようですから、甲府の柳正堂も出てくるのか?佐滝氏の著書「国史大辞典を予約した人々」を早く読んでみたいものです。
高校を卒業するまで甲府で生活した私にとって、本屋と云えば「柳正堂」でしたが、現在の甲府の本屋は「朗月堂」がメインになっているようで、「柳正堂はどうなったのか、影が薄いなー」と、急に気になりましたから、ちょっと調べてみました。
柳町にあった柳正堂は、「1783年(天明3年) 柳町四丁目に大塚儀助により、江戸時代中期から小間物と書物の販売、木版による出版を創めた」と会社案内にあり、明治になると「県庁と取引契約締結」、「教科書取扱代表者」、大正時代は「山梨県官報販売指定」と順調に業績を伸ばしていった様子が記されていますが、なぜか長い昭和時代については記載が無く、一気に「2009年(平成21年)オギノ湯村ショッピングセンター店オープン」、「2010年(平成22年)オギノリバーシティショッピングセンター店オープン」「本社(中央4丁目2-18)より下石田2丁目20-10に移転」とあります。
「柳町で正しく定価販売する店」が柳正堂の名前の由来だそうですが、既に本社は柳町に無いことも分かりました。確かに昭和30年から40年前半に通った柳町の店の前には自転車が林立していたのも思い出しますから、車社会になって甲府の繁華街で駐車場を確保するのも難しく、撤退を余儀なくされたのでしょう。
上記のように現在の柳正堂は、いわゆるショッピングセンター内に3店舗を開いているようですから、販売している書籍も雑誌やハウツー本、売れ筋本が主であることは容易に想像が付きます。
このように柳正堂に限らず、地方の老舗書店が廃業に追い込まれたと云うニュースは何度か耳にしていますので、アマゾンに代表されるネット社会で、朗月堂も厳しい経営かと思います。
街から書店と酒屋が次々消えていくのは何とも寂しい昔人間ですから、「酒は酒屋で、本は本屋で」と言い聞かせ、未だアマゾンで購入したことは一度もないのがポリシーだと自負しているのですが、まあ無駄な抵抗で、時代錯誤だとお笑い者でしょうね。