梶原徳昭先生は、杉浦醫院整備保存活用委員会にも地方病専門家として参加いただいてきましたが、県衛生公害研究所の研究員として流行終息宣言の取りまとめや山梨県地方病撲滅協力会の事務局を担当するなどこの道一筋の行政マンでもありました。
先輩でもある薬袋勝氏と共に「山梨県における日本住血吸虫症の流行状況 」を著したり、山梨県国際協力専門技術者派遣事業では中国の実態調査に赴き、「四川省西昌市および蒲江県における日本住血吸虫病の流行状況について」の報告論文も残しています。
前話でも触れましたが、「百年戦争」とも言われた山梨県の地方病撲滅事業にも終息の兆しが見え始めると終息宣言後を見据え、「この病気との闘いの歴史を後世にどう伝えていくか?」と云った「終戦処理」も梶原先生が担いました。
「山梨県の近現代史に地方病は欠かせない」という県立博物館建設構想とも絡み、県博での「地方病コーナー」充実のための文献資料や展示資料の収集活動もその一つでした。
下の写真は、2013年5月に国立科学博物館で開催された「日本はこうして日本住血吸虫症を克服した」の企画展に山梨県立博物館が提供した資料です。殺貝活動に使った看板から桶や写真など梶原先生が収集して、県博に収めた一部でしょう。
この写真は、こだわり百貨店 TSUBURAOKA.COMから転載させていただきました。 |