2015年4月1日水曜日

杉浦醫院四方山話―408 『地方病研究者・林正高先生』

 甲府市立病院や山梨病院でご活躍だった林正高先生については、ご存知の方も多いことと思いますが、先生は甲府市立病院時代から国際協力事業団のスタッフとして、フィリッピンでの住血吸虫症の疫学調査と診療にあたってきました。

赴任した甲府が日本住血吸虫症の流行地であったことから、先生は昭和41年以来一貫して治療と研究に打ち込んできましたから、加茂先生と同じく住血吸虫症の三郎先生の後継的権威でもありました。
 

 

 山梨では、昭和40年代から急速に終息に向かった住血吸虫症ですが、林先生は、この風土病の世界的根絶に情熱をかけ、専門が神経内科であったことから、フィリッピン・レイテでは虫卵が脳に塞栓を起こす脳症型が主流だったことに着目し、レイテを調査対象にしたそうです。

 

 脳症型は、山梨などの肝脾腫型とは異なり、35才ぐらいで発症し、突然、手足に痙攣を起こし、意識を失ったりする発作性の病気で、進行すると手足に麻痺を起こしたり、失語症になったりする一方、肝脾腫型のように腹満にはならないなどの違いがあることやレイテでの疫学調査から、脳症型になるか肝脾腫型になるかを決定しているのは家系であり、脳症型の患者がいる家系は脳症型ばかりで、両者が混ざることはないことを突き詰めたそうです。



 ちょうど春の彼岸と云うこともあり、先生方は杉浦家のお墓参りも組み込んでの来館で、最後にはお隣の正覚寺で、御墓参りをしてくださいました。



 林先生が、ご持参くださった「お土産」は、林先生と三郎先生の「対談テープ」です。

「1977年MAY26」と外箱に表記されたテープは、林先生がフィリッピンから戻られて、この病気のフィリッピンでの実態や治験を三郎先生に報告に伺った際、収録したものだそうです。

 1977年MAYは、昭和52年3月ですから三郎先生が亡くなる約半年前の対談になります。 純子さんにその辺のことを聴きましたが「林先生は存じ上げていますが、父と対談してテープが残っていることは知りませんでした」とのことですから、多くの資料を大切に保存してきた杉浦家に残っていないと云うことは、林先生が録音をして、先生の研究資料として保存されてきたテープだったのでしょう。

 

 カッセトテープそのものが既に姿を消しつつあり、再生するCDラジカセはあってもカッセトラジカセが無い状況ですので、テープをCD化して当館資料にも加えさせていただくべく、林先生から借用させていただきました。

林先生のお話では、三郎先生もフィリッピンの様子に大変興味があり、日本での流れとフィリッピンでの今後について意気投合して話されたそうですから、聴いたことの無い三郎先生の肉声も楽しみです。