杉浦醫院四方山話―410 『地方病とのたたかい3部作』
この3冊の本は、「山梨県地方病撲滅協力会」が、1977年(昭和52年)、1979年(昭和54年)、1981年(昭和56年)と2年おきに発刊した「地方病とのたたかい」3部作です。
山梨県地方病撲滅協力会は、この病の患者がいた県内25市町村(平成の合併前)が負担金を出しあって組織した会で、県と一体になって進めた地方病撲滅活動の要でした。
上記の3冊は、昭和52年から発刊されていますから、協力会もこの年代になると新たな患者もなくなり、ミヤイリガイ撲滅に向けた事業もほぼ完了し、「地方病流行終息宣言」も射程に入ってきた結果、この病気との闘いをどう後世に伝えていくのかがテーマになったのでしょう。
本は3冊ですが、昭和53年には映画「地方病との闘い」も製作していますから、協力会は解散を前に記録事業をメインにしたことがうかがえます。3部作最終の「地方病とのたたかい」は、副題にー日本住血吸虫病・医療編ーとあるように先に紹介した加茂先生や林先生など医師が執筆しこの病の疫学や症状についての解説、論文で構成されています。
この医療編の「あとがき」には、冒頭「永い間、熾烈を極めながらも推進されてきた、山梨県の地方病撲滅事業は、関係者の努力の甲斐がありまして、ようやくここにその終息を迎えるに至りました。」と、書かれています。
当ブログ306話から3回にわたって紹介した「泉昌彦著 地方病は死なず」でも触れましたが、三郎先生が亡くなった昭和52年以降は、県をはじめとする行政も県民も「地方病は終わった。早く忘れたい」と云う機運だったのでしょう。
そんな流れの中で、映画も含めて5年間に4本の記録資料を撲滅協力会は作製して、解散も予定していたのでしょう。
しかし、正式に「地方病流行終息宣言」が出され、撲滅協力会が記念石碑を造って解散したのは、天野建知事になってからの平成8年ですから、この総括資料ともいうべき3部作作製後、15年と云う歳月が必要だった事が分かります。
平成8年の解散に伴い出された「地方病とのたたかい」最終号をまとめたのが、梶原徳昭先生ですから、その15年の間の「山梨県地方病撲滅協力会」の活動についても梶原先生には、ご教示をお願いしていかなければなりません。