杉浦醫院四方山話―363『インドネシア独立の母・長田周子さん-2』
NHKが収録機材設定などの準備中の約30分間、診察室で控えていた長田周子さんと話しました。
周子さんは、開口一番「西条とか常永とかこの辺はね、小作争議の盛んなところでしたよ」と話し出しました。
「小作争議の指導者として、臼井治郎なんていう名前は子どもでも知っていたくらい有名でした。臼井治郎もこの辺の人でしたよね」とか「その点、ウチの二川辺りではそんな争議はありませんでしたから、地主のあり方が小作争議に火をつけたんでしょうね。平野力三とか浅沼稲次郎なんかも来て応援していましたよ」と、固有名詞もポンポン正確に飛び出す話しは、とても99歳とは思えません。
そう云えば、「昭和村誌」には、初代から28代までの歴代村長と歴代助役、歴代収入役の顔写真と名前がありますが、第五編「世の変遷」の第三章「農民運動史」のページに記されている農民組合の組合長や会計、幹事と云った幹部の名前と町の幹部がダブルっていることが多いのを思い出しました。
例えば、長田さんの云う臼井治郎氏は、常永村河西区で大正十年に結成された最初の農民組合で組合長を務め、26代村長でもあります。同、副組合長の今村虎房氏は17代助役に、同会計の油川真氏は22代助役を務めていますから、小作争議や農民組合のリーダーは、人望と指導力に長け、村政のかじ取りも村民から任されたのでしょう。
周子さん親子からよく出る「二川のウチ」は、現在も残っているようで、「この間、横内さんがインドネシアにトップセールスとやらで来たので家に招いて、早く二川のウチを県の文化財に指定しないと無くなってからでは遅いよとよく言っときましたが、分かっているのかどうか・・」と知事もヒヨっ子と云った物言いでした。
その「二川のウチ」の襖は、東郷平八郎直筆の書だそうで、周子さんの父・長田瑛(あきら)氏を訪ねては、東郷平八郎が二川のウチでよく酒を飲んでいたと話してくれました。
要は、長田家は二川村の地主で、瑛氏は県会議員として活躍したり、蚕糸組合長や製糸組合「模範社」の初代社長も務め、「県会議員の選挙では、臼井治郎と一騎打ちもした」そうです。
このように故郷・二川のウチや二川で過ごした思い出は、若くしてスマトラに渡り、長くインドネシアで暮らす長田周子さん親子にとっても忘れがたく、近年望郷の思いを一層強くしているのではないかと感じましたが、人間が歳を重ねるということは、案外そういうことかとも知れないと思えてきた30分でした。
杉浦醫院応接室での約4時間のインタビューと前日収録した映像等は、インドネシア独立解放の礎を築いた甲府市出身の長田アミナ・ウスマンさんのドキュメンタリー番組として、NHKの「まるごと山梨]で、9月18日頃放送予定だそうです。更に11月7日放送予定の「やまなしクエスト」では、約25分番組として放送されるそうです。