来春開館予定の「やまなし近代人物館」で紹介される50人の中には、昭和町から杉浦健造氏と塚原等氏が選定されたことが過日公表され、健造先生については紹介しましたが、塚原等氏については、情報が少なく詳細を報告できませんでした。
この度、町立図書館のIさんが、図書資料から塚原氏の情報を収集してくださいましたので、それを基に塚原等氏の足跡をたどってみたいと思います。
「山梨県教育百年史ー大正・昭和前期編ー」によると、「山梨県の特殊教育は、先ず盲人、続いて聾啞者に対する私的な施設の開設から始まった」そうですが、いわゆる「劣等児」や「低能児」は、明治、大正、昭和前期まで「就学免除」とか「就学猶予」とし、学ぶ機会が長く閉ざされていたようです。
まあ、学習機会も後手後手に回されてきたからこそ、こういう教育の歴史資料に「劣等児」「低能児」といった言葉が堂々と使われていたのでしょうが、統計のある明治43年で、「尋常小学校の教科を修めてない者」は、男女児童400人以上、昭和4年になっても約150人を数えています。
今回、塚原等氏が選定された功績は、山梨県初の盲人学校である「山梨訓盲院」を設立し、初代校長を務めたことによりますから、山梨訓盲院について先ず触れておきましょう。
現在の山梨県立盲学校「校訓・和顔愛語」=なごやかな顔と思いやりのあるやさしいことば |