2014年9月16日火曜日

杉浦醫院四方山話―362『インドネシア独立の母・長田周子さん-1』

 9月6日(土)に急遽、醫院応接室で長田周子さんを追ったドキュメンタリー番組のインタビュー収録がありました。これは、NHK甲府放送局からの依頼でしたが、インドネシア在住の長田周子さんが娘さんと帰国して、故郷山梨の親戚との面会やお墓参りに来県するのに合わせて、6日帰京予定の限られた時間にNHKが取材することが前日に決まったという超過密スケジュールでした。



 長田周子さんは大正3年、甲府の二川(現・甲府市西下条町古屋敷)の富豪の家に生まれ、甲府高女から日本女子大に進学、在学中にセツルメント活動を通じて、明治大学に留学中のスマトラ王族の子息であるマジッド・ウスマンさんと知り合い結婚し、シティ・アミナ・ウスマンと名前を変え、西スマトラのウスマンさんの郷里へ移住したという経歴の方です。 国際結婚が珍しい戦前の昭和13年の事でもあり、当時の雑誌でも”スマトラの青年と国を越えての愛”と大きく報道され話題となったそうですが、この長田周子さんの娘さんが、西条一区の三井夫妻と懇意にされていることから「ウスマンが・・・」と何度か話しもうかがっていましたが、今回のウスマン親子の帰郷に際しても三井夫妻との会食も予定されていました。

 

 また、三井さんのお話で、長田周子さんのお父さんは、東郷平八郎とも親交があった早稲田大学卒業のインテリで、趣味が狩りだったそうで、二川から鉄砲を担いでよく西条方面に狩りに来て、その度に杉浦家にも立ち寄っていたと教えてくれましたので、純子さんに聞くと「朝早く見える長田さんのことを父や母がよく話題にしていました。当時は、土人なんて言葉が使われていた時代ですから、お嬢さんのご結婚も大変だったようです」と覚えていました。


 

 そんな関係で、ウスマンさんご一行の収録は、純子さん88歳と周子さん99歳のご対面から始まりました。インドネシアで医者をしている周子さんの娘さんが「杉浦先生は、日本住血吸虫症の先駆者として、よく存じ上げております」と表敬すると純子さんは「まあ,お上がりください」とおもてなしましたが、インタビュー収録を控え、「収録後おじゃまします」と醫院棟に移動しました。

 

 NHKが用意したインタビュー内容は、昭和16年に始まった大東亜戦争で、ウスマンさん一家は夫人が日本人だという理由で、オランダ当局に逮捕され、ジャワに抑留された当時の様子から、日本軍のジャワ上陸で救出されて故郷に帰り、ウスマンさん夫妻が闘士として活躍された独立運動の実態や初代大統領・スカルノとの関係などインドネシア独立を長田周子さんの視点で語ってもらうモノでした。

 

 ウスマンさん一家は、矢野兼三西スマトラ州知事から「内閣情報員」の資格で日本行きの命を受けますが、スマトラの軍政当局はウスマンさんの現地での影響力を危惧して、実質は日本への”追放”だったようですが、その辺の真実を周子さんの証言として、NHKは引き出したかったようです。

 

 99歳とは思えない体力と知力で、休みなしで約4時間近く「スマトラ義勇軍」について語った周子さんの話しは、人名や地名と年月日までしっかり記憶されていて、廊下で聴いていた私も引き込まれてしまいました。このインドネシア独立運動を担った「スマトラ義勇軍」の「義勇軍」は、日本語ですが、インドネシアでは、当時も現在も「スマトラ義勇軍」として通用していると云った貴重な話を25分の番組にどう編集するのか、NHKディレクターは、これからが始まりなのでしょう。