杉浦醫院四方山話―328『民具-6 和竿(わざお)』
魚篭の横に置かれた杉浦精さんのお父さんが愛用した釣竿は、長さが6メートルにもなる和竿で、二分割しなければ撮れません。
竹の釣り竿のことを総称して「和竿」と呼ぶのが一般的のようですが、和竿の正確な定義について、江戸和竿師5代目「東作」を襲名した松本栄一著『和竿事典』(つり人社、昭和41年)によると、「和竿は、日本産の布袋竹、真竹、淡竹、黒竹、矢竹、内竹、丸節、高野竹等を原料竹とする延べ竿と継ぎ竿とを総括して和竿という」とあります。
これは、「戦後、六角竿の業者が、六角竿を広めるために和竿を丸竿または丸竹竿と呼んだことから、釣具屋でも丸竿と云う名が一般的になり、和竿を製作する竿師まで、この安手な造語「丸竿」を平気で使っているが、そもそも舶来の六角竿は、初め西洋竿と呼ばれ、これに対して日本独自の釣り竿が和竿と呼ばれたのである」と5代目東作は、嘆いています。
現在は子どもでもグラス竿やカーボン竿にリールを付けての釣りをしていますが、この竹製の和竿が、私たちの少年時代の釣竿で、子どもの釣竿と言えば、釣り堀などで貸し出す一本の竹で出来た「延べ竿」でした。
「延べ竿」でも長さによって値段も違い、「子どもは自分の背丈の上まで」と釣具屋の親父が言っていましたが、川や池に持ち運ぶわけですから、道理にかなっていました。
「泰地屋東作」で知られる江戸和竿は、東作がそれまでの「延べ竿」を持ち運びに便利なように短く切って、使う時に継ぎ合せる「継ぎ竿」を製造販売して評判になり、「継ぎ竿」が「江戸和竿」の代名詞となりました。
これは、魚遊びの一道具にすぎなかった釣竿を美術工芸品の域に高めたと言われ、戦後、日本に進駐したアメリカ人は、竹製の継ぎ竿の精巧さと美しさ、実用性に驚き、大量に買い占めたことから、竿師と呼ばれた名人の作品は、大部分アメリカに流出したと言われています。
杉浦さんの和竿もご覧のように8本に分解できる継ぎ竿です。この8本の竿がそれぞれの太さの組み合わせで、すっぽり中に収納でき、3本を竿袋に入れて持ち運ぶことが出来ます。
順番に挿していくと、「ゆるからず、きつからず」絶妙の位置できっちり繋がり、1本の釣竿として何とも握り心地良く、遠くの深みに生息する川魚を狙いたくなります。
「子どもの頃、一度だけ親父と釣りに行ったのを覚えている」と杉浦精さんが言いますから、この竿も60年以上の時を経過したモノでしょうが、十分使える状態で、飴色に燻る竹の渋さが何とも言えません。こういうモノにも目をつけて買いあさったアメリカ人は、思いのほかお目が高い人種なのでしょう・・・・か。