杉浦醫院四方山話―311 『古時計・ホールクロック』
杉浦醫院を見学に来た小学生など子どもたちに人気の一つは、「大きな古時計」です。 写真のように2階階段の踊り場に設置されていて、窓を開け放つ季節には、外からも「清韻先生寿碑」と肩を並べる丸い文字盤が見えます。純子さんは「最初は、待合室に置いたそうですが、子どもが扉を開けて針を回したり、振り子を止めたりで修理が続いたので、2階に上げたと父が言っていました」と、何時の時代も子どもの興味は同じようです。3時を指したまま止まっていたこの時計を役場近くの「すすき時計店」に修理が可能かどうか見てもらいました。このすすき時計店は、店主が修理再生したアンティーク時計やブランド時計を保証付きで売っていることからも「鈴木さんなら直せる」と云った確信のようなものがありました。
寒い中ご足労いただいた鈴木さんを二階に案内すると開口一番「これは、明治か大正のモノで、昭和のモノじゃないね」に続き「この時代のモノは修理したことないけど、構造は昭和のモノより単純なはずだから・・・」と扉を開いて覗きこみ、「この文字盤を外して裏の機械部分を見ないことには、修理できるかどうかも分からない」ということで、文字盤外しにかかり ました。 百年以上経過している古時計ですが、現在のセイコーが、起業した明治25年当時の社名「精工舎」の表示がありますから、鈴木さんも「部品は当然もうないけど、これは日本製だからピンなんかは自分で作れば何とかなるから、・・・」と期待を持たせつつ文字盤を止めているネジを外そうとするのですが錆びついて、なかなかドライバーが回りません。小さなネジで合計6か所がきっちり止められていますから懐中電灯片手に何度も挑みますが頑として動きません。すると、鈴木さんは、ドライバーを先のとがったペンチにかえ、ネジの頭部分を挟んで少しずつ回し始め、約1時間かけ6本のネジを外し、箱から文字盤と機械部分を取り出しました。 「電気的なものは使わず、重りの重力で動く時計だけど重りをクサリで吊り下げているのが普通だけど、これは糸だね。はて、何の糸かなぁ。糸をロウで強くしているようだね」と好奇心の裏に自信ものぞかせる姿に「その気になれば部品を作ってでもと云う姿勢と探求心の職人気質は、本当にカッコいいなぁ~」と感動しました。
この大きな古時計は、「ホール・クロック」と云うのが正式名称のようで、ヨーロッパのダンスホールなどに置かれていたものが明治の文明開化で日本にも入り、精工舎も製造を始めたようですが、当時は外国製のモノの方が多かったそうです。「大きなノッポの古時計 おじいさんの時計」と云う歌が流行ってからは、『グランドファザーズ・クロック』とも呼ばれ、日本の家屋も大型化したことから最近は人気もあるそうです。
「これを持ち帰って、修理できるかどうか調べてみます」と鈴木さんは外した文字盤機械部分を抱きかかえてお帰りになりました。「鈴木さんなら必ず直す」と見送りながら、一層確信した自分を「身勝手な野郎だ」ともう一人の自分が嗤いました。