杉浦醫院四方山話―310 『道志七里』
先にも触れた「地方病は死なず」の泉昌彦氏の著書「よばい星」 は、「郷土の風俗史2000年」と銘打ってあるように山梨県内 の民俗・習俗を「よばい」を通して書き記してあります。
<「よばい」という言葉は、極めて下品でセンスのないニュアンスを含んでいるように思われがちであるが、実は古代社会から大正時代まで、全国津々浦々で全盛を極めた日本の性風俗で、山間部ではつい昭和30年頃まで、筆者が実際に研究のために目撃した結婚の手段であった。>として<流れ星をよばいに例えて、「よばい星」というのは、国語辞典にも載っている日本の古語である>とまえがきにあります。
ここには、昭和15,6年に若き泉氏が教員として赴任した小菅村で体験した村営宿舎によばってきた娘の実話から古事記や万葉集、伊勢物語、古今和歌集などに登場する「よばい」をまとめた労作です。泉昌彦氏は、日本の民俗学の大御所・柳田国男などが「性」と「やくざ」と「天皇」の民俗学を取り上げなかった事は片手落ちだと反発して、フィールドワークの研究手法で、「性」の民俗学を研究発表した赤松啓介氏と重なります。
この「夜ばい星」では、
山梨県の僻地の代名詞としてよく言われてきた「道志・秋山・丹波・小菅」での取材が多いのも特徴ですが、泉氏は、フィールドワークと共に村史など文献資料にもあたり精査しています。その経験から、異色の村史として、「道志七里」を取り上げています。
村史・町史・市史は、全国の市町村で編んでいますから、昭和町にも「昭和村史」「昭和町史」があります。この編纂作業も全国共通のようで、首長を委員長に村(町・市)史編纂委員4,50名が選出され、更に編集協力員100名以上の組織で、役場の担当課が事務局となって、分担して執筆、編集して仕上げています。
道志村の村史「道志七里」は、昭和28年に伊藤堅吉氏が独力で書き上げ、伊藤堅吉著となっています。個人の視点で一貫する「道志七里」は、その一点だけでも異色ですが、柳田国男でも避けた「性」の領域でも道志村における「よばい」についても赤裸々に記されています。 多くの編集委員の合議や協議を経る村史や町史では、触れられてない領域があることを「道志七里」がクローズアップしたと評価され、「よばい星」にも「道志七里」からの引用が随所に見られます。
このユニークな「道志七里」ですから、資料的にも貴重なのでしょう、現在道志村役場では「歴史と民族を巧みにマッチさせた名編を半世紀ぶりに復刻!」のコピーで、復刻版「道志七里」を通信販売しています。コピーの「民族」は「民俗」の間違いでしょうが、さっそく、昭和町立図書館にリクエストをしておきました。