前話で紹介した泉昌彦著「地方病は死なず」は、その題名に全てが集約されています。昭和50年代後半の山梨県内は、官民問わず「地方病は既に終息した」という流れで、「終息だ終息だ」と云う声と雰囲気の中、ミヤイリガイ生息地の土地を安く買う先行投資が始まったり、かつての有病地では、地方病のことは隠すことが暗黙の了解事項となり、学校教育でも触れないのが一般化したそうです。そう云う状況を座視できない泉氏が、異議申し立て、警告の意味を込めて書いたのがこの「地方病は死なず」ですから、たいへん辛口の表記が本書の特徴でもあり、歴史経過の中で淘汰されるべき異論もありますが、伝えるべき正論も多く、貴重な資料であることは間違いありません。
本書でも杉浦健造・三郎父子は取り上げられ、三神三朗氏と共に総じて客観的評価の証言なども随所に見られますので、ご紹介します。 25ページからの「セルカニアの脅威」の中では、
<セルカニアの脅威については、農民文学の作家、山田多賀市の主宰した「文化山梨」が、既に1950(昭和25年)に、驚異の実験データを特集している。実験者は、故杉浦三郎医師で、有病地では「地方病の神様」とされ、生涯を地方病の研究に打ち込んだ医師である。この実験は、セルカリアの侵入を阻止する予防薬と着衣の研究のために行われたもので、その方法は、まず・・・>で始まり、三郎先生の研究方法と結果が3ページに渡って紹介され、 <以上の実験で、出された二種類の薬品と、オリーブ色素を混ぜた薬品のみが、セルカリアの侵入を予防しうるとされた結果により、現在でも農作業をする際の予防油薬として使用されている。>と、結ばれています。
上記の内容を報じた昭和25年6月21日付けの山梨日々新聞 |