2014年1月8日水曜日

杉浦醫院四方山話―301 『午年のスタート』

 
あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
 
 今年は午年で、子年からはじまる十二支の12年では、ちょうど折り返しの年に当たります。これは、陽から陰へと変わる転換期でもあり重要な年とされているようです。
 また、午の刻は,午前11時~午後1時を指し、その中間である12時を正午といい、一日のなかで最も気が抜けやすい時間帯だともされています。「牛」の角が抜けて「午」という字になったという説もありますから、間抜けな私は、これ以上「抜けない」よう気をつけなければいけない年なんだなと思い直しています。

 「正午」で思い出すのは、「汚れちまった悲しみに. 今日も小雪の降りかかる 汚れちまった悲しみに. 今日も・・・」のリフレンや有名なオノマトペ 「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」 の詩人・中原中也です。
 

正午

丸ビル風景

 



あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな



 サイレンだサイレンだ  出てくるわ出てくるわ  小ッちやな小ッちやな   ・ ・ ・ ・  等々、リフレインを巧みに使い丸ビルから気が抜けて出てくるサラリーマンの様子をユーモアかつ効果的に描いたこの詩も中也の代表作でしょう。




 この詩が好きなのは、「ひょんな眼付(めつき)で見上げても、眼を落としても……なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな」のフレーズが、サラリーマンの気抜けした午休(ひるやす)を一層空しく表象し、江戸時代の有名な川柳「酒なくて なんの己が 桜かな」の頭の5字「酒なくて」が自然に彷彿されるからです。何のことはない「中也も丸ビルから排出されるサラリーマンを見て、率直に<酒なくて なんの己が 桜かな>と思ったんだ」と、勝手な解釈を喜んでいるだけですが・・・

 正月をいいことに酒に浸った余韻の戯言で失礼しましたが、お口直しに杉浦家の艶やかな博多人形の舞いと福助の招福写真で、皆様に幸多かれとお祈りいたします。