2012年11月10日土曜日

杉浦醫院四方山話―196 『山葉 寅楠(やまは とらくす)-3』

 「やっとできた。認められた!伊沢所長のおかげで完成したオルガンです。どうぞ使ってください」と山葉寅楠は、このオルガンを、国産第1号オルガンとして、そのまま音楽取調所に寄贈しました。これを喜んだ伊沢所長は、二人が造ったオルガンを「国産オルガン製造成功!」と東京芸術大学学長のお墨付きとして語り、そのニュースは口コミで広がって「山葉風琴製造所」は、本格的にオルガン製造にとりかかることになります。そして、1年後、風琴製造所の従業員は100名を超え、ロンドンに輸出するまでに急成長しました。
 
 明治22(1889)年、寅楠は、東京や大阪の楽器商社と協力して個人商店だった山葉琴風製造所を「日本楽器製造株式会社」に改組し、今度は国産ピアノの製造を目指しました。
伊沢修二所長の紹介で文部省嘱託となった寅楠は、アメリカに渡りピアノ工場を見学し、部品を買い付け、会社の総力をあげて、国産ピアノ第1号の製造にとりかかります。
アメリカで買い付けた部品を基に、ピアノの生命といわれるアクション=響板には、日本で開発したものを使おうと、河合の親戚の河合小市と云う当時11歳にその響坂制作を委ねたそうです。天才少年河合小市は、後に「河合楽器」を創業した人物ですから、ヤマハとカワイは、国産オルガン製造からピアノに至るまで、二人三脚で築き上げてきた訳です。「男は男に惚れられなければ事業に成功できない」と云う寅楠の名言は、協力者・河合の存在なくしては生まれなかった実感だったのでしょう。
   以上、国産ピアノ誕生までの「物語」の概要を「日本のピアノ100年」を基に紹介してきましたが、「いのちの授業」とか「安心安全な○○づくり」が、全国至る所で取り組まれている現在、「先ず惚れること」とか「惚れられると・・」と云った個々の感情とか思いの大切さや多様性による人生の面白さについて、学校も社会も触れません。それどころか、安直な不案操作のように何年か周期で、学校でのいじめ問題をマスコミは話題にします。個々のケースや原因は様々なのに決まって、「自殺」を引き金に「学校や教育委員会の対応」を軸に、いじめた側、いじめられた側双方の家庭状況まで、のぞき見的に取材して臨場感を出す手法まで同じです。
 学校と云う閉鎖社会の中で、近年特に強まっている「同質性圧力」が、いじめの原因として根底にあることは間違いないのにその辺の本質的な報道では面白くない?のか、ただただ不安を煽る子育て環境醸成報道になっています。「学校で通用している価値観などたかがしれている。もっともっと世界は広いぞ!」と、寅楠と河合の人生物語は教えているようで、こう云った魂を揺さぶる「物語」も、同質性圧力から逃れる一つのバネとして、有効もしくは効果ありの教育的指導のように思う今日この頃ですが、如何でしょうか?