2015年12月16日水曜日

杉浦醫院四方山話―460 『水の上にできた町の出土品』


 現在、中央公民館で「昭和町歴史講座」が進行中ですが、前回の教室「かすみ堤」の中で、講師から河西地区のかすみ堤での発掘調査で出土した「うし」は、現在、杉浦醫院に展示してある旨紹介されました。



うしは牛ですから「川に牛?」と疑問符が付きますが、「うし」は川の流れから、堤防を守るために丸太の杭を三角錐や方錐状に組んで作られた水除(みずよけ)です。

コンクリート製の聖牛
笛吹市川中島の笛吹川河川敷に設置されている「聖牛」

現在でも、笛吹川の石和流域で、コンクリート製の「うし」が連続して建っているのを見ることができますが、信玄堤からの「かすみ堤」の「うし」は、「聖牛(せいぎゅう)」と呼ばれ、武田信玄が考え出したものとされ、写真のように1本の長い杭を斜めに支えるような独特な形に組み上げてあります。

まあ、山梨では信玄堤に始まって信玄餅まで、さかのぼると全て武田信玄に結びつく感もしますから「聖牛」も信玄が編み出したのかどうか?どなたかその根拠をお知りの方はご教示ください。

 

当館の土蔵横にある旧自動車車庫の建物は、「水の町・昭和」を観ていただく展示会場です。

文化財出土品と云えば「縄文土器」とか「弥生式土器」が一般的ですが、『水の上にできた町・昭和町』ならではの出土品が「うし」ですから、ご覧のように展示してあります。

 
 

 町内4校の校章には、全てかつて国の天然記念物に指定されていた「ホタル」が描かれているのも「水の上の町」の特徴でしょう。

そのパネルの下と横に展示してあるのが「うし」の杭と解説です。「何だ、ただの丸太棒じゃねーの」と云った声が聞こえて来そうですが、その通り丸太ですが、水に浸かっていた部分は腐食したりしている古丸太です。

 

この丸太が、何時頃のモノか?考古学の専門機関で精密検査を受ければ確定できるようですが、経費もかかることから、ソコまで特定はしてないのが実態ですが、かすみ堤の発掘調査により、土の中から出てきた遺物ですから、水の町・昭和の貴重な文化財です。

 

また、豊富な井戸水も昭和の誇りですが、「釣瓶(つるべ)」など井戸に必要な様々な付属品も現代では、文化財です。

 それは、「秋の日は急速に日が暮れる」ことを形容して「秋の日は釣瓶落とし」と云った諺にもなっていますが、「釣瓶」がどんなモノか分からなければ、諺も理解できないのが現代でしょう。

「釣瓶」は、元々は井戸水をくみ上げる綱や棒の先に付いていた「桶(おけ)」の事でしたから、井戸の中におろす釣瓶は、井戸を滑り落ちるようにあっという間ですから、秋の日は井戸の釣瓶のように一気暮れるという意味合いでしょう。

 
 

しかし、釣瓶は落とすのは簡単ですが、水が入った釣瓶を引き上げるのは大変でしたから、井戸の上に滑車を取り付け、綱には2個の釣瓶が付き、引き上げる動作から引き下げて水が汲めるようになり、「釣瓶」と云えば「滑車」の部分を思い浮かべる人も多くなりました。

そんな訳で、杉浦家の井戸で使っていた「滑車」も展示してありますが、この「滑車」も時代や金額でいろいろな種類があったようですが、手押しポンプからモーターへと井戸水がより便利に汲み上げられるようになって、多くの釣瓶や滑車が廃棄されてしまいました。

「未だ倉庫にある」と云う方は、手押しポンプも含めて当館にご寄贈いただけると「文化財」として後世に残りますので、ご協力ください。