郷土学習教材「ふるさと山梨」は、 山梨県教育委員会義務教育課が刊行していますが、児童生徒の郷土研究を奨励し、毎年「ふるさと山梨郷土学習コンクール」も開催しています。
当館にも取材に来て表題の「水の上にできたまち【昭和町】」にまとめた西条小学校3年の尾上遥さんが、「第8回ふるさと山梨郷土学習コンクール」小学校の部で優秀賞に輝きました。
受賞した研究発表文を当館にも持参くださいましたが、「昭和町誌」や「昭和町の民話」から昭和47年と平成26年の「住宅地図」などの文献資料と町内在住の何人もの方々に取材して、まとめてあり「優秀賞」にふさわしい内容と構成に、小学3年生当時の我が身を「雲泥の差」という言葉と共に思い起こしてしまいました。
当、「杉浦醫院」は日本住血吸虫症の原因究明と治療法確立に貢献して、多くの患者を救ってきた杉浦健造・三郎父子を昭和町の郷土の偉人として顕彰していく資料館ですが、合わせて町の「郷土資料館」として機能させていこうと「昭和町風土伝承館」と云う接頭語が付いています。
今回の尾上さんの郷土研究「水の上にできたまち【昭和町】」は、ズバリ当館のコンセプトです。
「釜無川の氾濫の歴史」「信玄堤からのかすみ堤」「ミヤイリガイが好んだ湿地帯【よしま】」「天然記念物の源氏ホタル」「ぶっこみ井戸」「甲府市民の水道源・昭和浄水場」「地方病」等々、昭和町の歴史や風土形成は「水の町・昭和」に集約されます。これを調べて、もっとファンタスティックに「水の上に出来た町・昭和町」と表現した尾上さんの感受性には脱帽です。
当館のある西条新田地区の「人口の変化」も200年前・30年前・現在の三段階で調べ、それぞれ129人・548人・1443人と飛躍的に増えたことと新旧の住宅地図で「土地利用の変化」も調べ、「昔はカイコを飼っていたから、桑畑()が多かったけど、今の地図には1つもない」と指摘して、下記の桑畑地図記号を( )内に正確に表示してあります。
このように学習していく中で尾上さんは、田んぼや畑の地図記号と共に新たな記号の解読も必要になり、この記号は桑畑であることを新たな知識として獲得したのでしょう。小学3年生にして「知のヨロビ」を体験することで、研究内容もより正確で、より深くなって行ったのでしょう。
国土地理院は一般の畑と区別して桑畑は桑の木を横から見た形を記号表示しています。 |