杉浦醫院四方山話―403 『山本酉二氏の自決-3』
山本酉二氏の割腹自決に関係する資料は、上官の手紙や弔辞に限らず他にも貴重な資料があり、山本家でも戦後70年、戦争体験者が年々減り続けていく中で、これらの資料も活かせたらという意向もうかがえましたから、甲府市にある山梨平和ミュージアムにどうかと提案しました。
山梨平和ミュージアムでは、現在「戦争体験記・戦後体験記」を募集中ですから、山本家の承諾を得て、この酉二氏自決資料を添えての応募を問い合わせました。
「今回の募集は、あくまでも本人の体験記ですから、それは該当しません」と、端からシャットアウトの返答に「自決して亡くなった戦争体験を本人が書けるわけないのに・・・」と腑に落ちませんでしたが、400話で紹介した色川先生の「テロリストの悲しき心」も特攻隊で散った部下の青年の死を生き残った者の使命として語り継いで行こうという内容ですから、他館を当てにするより当館でと、思い直しました。
まあ、平和ミュージアムに一言申し上げるとすれば、募集要項で「本人の体験記」と限定しているとしても、たかだかミュージアムに関係する人間が作った要項ですから、絶対視するのではなく、もっと臨機応変に広く募った方が、より深く濃い内容の原稿も集まるのではないのでしょうか?と・・・
当館は、昭和町の郷土資料館としての活用も念頭に整備を図り、町内外の方々から寄せられた民具や農具を展示公開し、昭和町の風土を伝承していますが、「物から人へ」のキャッチフレーズは、博物館や資料館にも必要なフレーズだと以前から思っていました。
そんな訳で、これまで当ブログでも、健造・三郎父子と共に昭和町の「人」を何人か紹介してきましたが、昭和町で生まれ、育った「人」をもっともっと掘り起こし、周知していくこともこれからの課題だとあらためて感じました。
今回の山本酉二氏のような「壮絶な人生」に限らず、例えば、352話の曽根義順さんの日記のようにその人の足跡が辿れる資料があれば、当館母屋の今後の活用を考える上でも資料を収集していきたいと思います。
先ずは、前話の弔辞を残した故・井口伝(いぐちつたえ)氏は、本町の歴史研究や文化財保護の先駆者としてもご活躍いただいた方なので、これを機に柳沢八十一氏等に繋がる昭和文化人脈から始めていきたいと思います。