前話の「参河後風土記」十巻と一緒の包みに「玉籠集」上下二巻の和綴じ本がありました。
「玉籠集」は、「ぎょくろうしゅう」または「たまこもるしゅう」と呼ばれた歌集です。
江戸末期の文久2年(1862年)に飯塚久敏が選者をつとめて、各地の歌人320名の1338首が収録され、上・中・下巻の全三巻の歌集ですが、現在のところ中巻はありません。江戸時代に編まれた短歌集ですが、流れるようなかな書で、1ページに六首と詠者の名前がきっちり納まっています。
下巻の巻末には、詠者の所在地とフルネームの一覧が記された奥付もあり、そこから詠んだ歌も検索できるよう工夫されています。この歌集を編んだ飯塚久敏について、「和歌大辞典」には、次のように紹介されています。
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飯塚 久敏∥イイヅカ ヒサトシ 国学者
〔生没年〕 文化6年(1809)~元治2年(1865) 〔享年〕56
国学者。上野国群馬郡倉賀野宿(現・高崎市)に生まれる。
江戸に出て橘守部の門に入り、一家をなす。橋本直香・武居世平らと交友した。甲信地方に門人が多かった。和歌に長じ、また地理にも詳しかった。守部の息子で後継者の冬照とは対立し、冬照の編集した「橘守部家集」について安政5年『玉帚』を著わし、その撰を難じた。また文久3年8月、歌集『玉籠集』を上梓。著書は他に『式外神社考』『上野国旧地考』『倭姫世記補註』などがあったが、その多くは散逸した。
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「甲信地方に門人が多かった」の記載通り、奥付の詠者一覧には、「京」から始まり「佐渡」まで国々の歌人名が載っていますが、「甲斐」の歌人が際だって多いのが興味をひきますので、次話で、その辺を詳細に紹介いたします。
また、
飯塚久敏は、良寛をいち早く世に紹介した作者としても知られています。
「いまはむかしゑちごの国に良寛という禅師ありけり。」これは天保14年(1843)、飯塚久敏の著書『橘物語』の書き出しで、良寛の没後12年にして書かれた伝記物語として注目されたそうです。